2024年3月26日火曜日

庚申塔

崎山英二氏のレポート

古賀イマゴロ 古賀を歩けば庚申塔に当たる。

古賀を歩くと,神社境内や集落の出入口などで見かける庚申塔。「光る君へ」で、庚申の日が登場。
この庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃かららしく,中国から伝わった道教に由来する庚申信仰から建てられた石塔とされます。
六十日に一度巡って来る“庚申の日”(「かのえさるのひ」・「こうしんのひ」)。
その夜,人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が,寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていて,それを避けるために夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り,勤行をしたり宴会をしたりする“庚申待(庚申講)“が行われていたそうです。
この“庚申待(庚申講)“を三年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔で,塚の上に石塔を建てたのは庚申塚,塔の建立に際して供養したのは庚申供養塔と呼ばれます。
※参考
「第11歴史講座(63年度)『古賀の昔と今』古賀町文化財調査委員村山武」(古賀市立図書館収蔵)
「古賀町庚申・青面金剛・猿田彦大神等、分布図」(平成元年2月現在、古賀町文化財調査委員村山武)
〔写真〕
①筵内須賀神社前の庚申塔群(2021年1月撮影)



②筵内須賀神社前の寛延四年庚申尊天(2021年7月撮影)



③薦野天降神社境内の庚申塔群(2019年11月撮影)



④上米多比「三日月とほたる」近くの庚申天(2022年5月撮影)



⑤青柳観音堂の庚申塔群(2024年2月撮影)


⑥平成元年2月現在,古賀町文化財調査委員村山武「古賀町庚申・青面金剛・猿田彦大神等、分布図」(「第11歴史講座(63年度)『古賀の昔と今』古賀町文化財調査委員村山武」(古賀市立図書館収蔵)から一部抜粋)


2024年3月19日火曜日

天動説の歴史と地動説への変化

 古代人は、直感的に大地は水平であり、その上に空気があり、さらに上空を太陽や月や星が回っていると感じていました。多くの神話にその物語が残っています。

天動説の体系化「プトレマイオスの天動説」

古代ローマの学者、クラウディオス・プトレマイオス(83年~168年)は「アルマゲスト」という著書を残しました。

この著書には地球が宇宙の中心であり、その周りを太陽や他の惑星が回っているということが書かれていたのです。

このアルマゲストが執筆されたのは、研究によって150年から168年の間とされています。

アルマゲストは13冊にもわたる天文学や幾何学の専門書である書物です。この本には天動説や日食、月食についても記されています。

「アルマゲスト」によると

地球の周りに、 月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星

の順で並ぶとされています。


アルマゲスト」によると地球は、「宇宙の中心は球形をした地球であり、

動かずその周りを他の天体が回っている」とされています。

惑星の動きの一部が往復するのを、二つの円運動で説明した。

その後の地動説への変化:

これに対して、地動説の元となる考えが生まれたのは意外に早く、紀元前310から230年頃のことです。古代ギリシアの天文学者アリスタルコスが太陽が宇宙の中心であると唱えました。

しかしこの考えは民衆に広まりませんでした。この理由として偉大な学者であるアリストテレスが支持した天動説を否定できなかったし、大地が動くという説は神の偉大さを否定するためキリスト教から受け入れられなかったことなどがあります。

そしてやっと地動説が日の目を見たのは生まれてから1700年ほど後のことです。

地動説を広めるきっかけとなった人物がニコラス・コペルニクス(1473年2月19日~1543年5月24日)、ポーランド出身のカトリックの司祭でした。

コペルニクスは1500年頃に出版した「コメンタリオス」で太陽中心説(地動説)を主張し、さらに亡くなる直前に「天体の回転について」で地動説をより発展させています。

ガリレオが望遠鏡で、天体の動きを正確に把握し、地動説を裏付けします。

ニュートンが万有引力の力学で、天体の動きを正確に計算しました。

現在ではさらに、156億年前に「宇宙」がビッグバーンで発生し、46億前に誕生した太陽系と、それ以外の多くの星雲の発生や動きなども研究されています。

最澄・空海の銅像と古賀の縁

 古賀市花鶴川の河口近くの広場に、最澄(伝教大師)の銅像がたつ公園ができています。

最澄は、遣唐使船で唐にわたり、帰国の時に嵐のため古賀の花鶴海岸に漂着したと伝えられています。
この故事にもとずいて、地元有志の力で大師をまつる公園が完成し、花鶴の町おこしの種が一つ増えました。

天台宗の寺は新宮の獨古寺が有名ですが、古賀にも有名な清瀧寺があります。
最澄銅像

清瀧寺本堂


古賀市の筵内に空海(弘法大師)の銅像を中心とした公園が出来ました。

空海は唐から帰国して2年ばかり大宰府の観世音寺に滞在していました。
古賀地区には有名な空海伝説があり、巡礼して来たことは考たしかです。
地元出身の資産家の寄贈により造られた公園です。
真言宗の寺は、宗像の鎮国寺が有名ですが、竜海寺が古賀の米多比にあります。


空海銅像


竜海寺

日本・朝鮮における「倭」国の変遷

 日本における「倭」の変遷はこのようです。

博多、志賀島の「漢倭奴国王」金印授与記録は57年、
卑弥呼の「親魏倭王」の金印授与記録は239年、
倭の五王の朝貢は、421、425、430、438、443、451、460、462、477、478、479、502年。




朝鮮半島における倭国



2024年3月18日月曜日

大谷選手関連のニュース

 烏の鳴かぬ日があっても、大谷選手のニュースが出ない日はない。

毎日テレビの何処かに、大谷のニュースが流れている。

その新妻と韓国へ同道した日は、大変だった。


その後は新妻のバスケットで活躍していた頃の画像も流れた。


有名人はマスコミ対策が大変だが、マスコミもも少し小出しにしてもらいたいと思っていたら、通訳役水原のギャンブル事件が続いた。


米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)の通訳を解雇された水原一平氏(39)の違法賭博疑惑を巡り、大リーグ機構(MLB)は22日(日本時間23日午前)、調査手続きを開始したとする声明を発表した。

 声明では、MLBは疑惑の発覚を受けて情報の収集を続けてきたとした上で、22日朝にMLBの調査部門が正式に調査手続きを始めたとしている。

ドジャース・大谷翔平投手の通訳を務めていた水原一平氏には学歴詐称疑惑も浮上した。違法賭博に関与した疑いで20日にドジャースを解雇され、大きな問題となっているが、地元メディア「NBCロサンゼルス」によると、卒業したとされるカリフォルニア大リバーサイド校には記録がないという。


2024年3月9日土曜日

「ピエトロ」という会社

 今日の玄界義塾では、「ピエトロ」の高橋泰行社長から会社紹介の話を聞いた。

1980年の創業者村田邦彦氏が2017年に亡くなり、当時専務だった高橋氏が社長を継がれたそうだ。古賀市に第一、第二工場があり、現在第三工場を建設中であるから、地元としては、親近感のある企業である。

ピエトロの原点は、村田社長が若くして父の店を継ぎ、一度閉店したあと、1980年に福岡にオープンしたスパゲティ専門店『洋麺屋ピエトロ』だ。

イタリアンと和風を融合したメニューが評判を呼び、行列のできる人気店となつた。

また、「秘伝の手作りドレッシングを家でも味わいたい」というお客さまの声をきっかけに、百貨店での販売を開始。

レストラン運営と併せて、自社商品の製造・販売も行う独自の経営スタイルを確立した。

そして現在、総店舗数44(フランチャイズを含む)、製造商品約120種類以上という総合食品メーカーへと成長を遂げ、ピエトロファンは増え続けている。

創業者の語録に、「仕事も遊びも一生懸命に」というのがあった。ホームページで調べてみたら、趣味の多い人で、絵画や陶芸はセミプロの腕前だったようだ。スパゲティの原材料は当初からイタリアから輸入していたので、イタリアに知人も多く、社名もピエトロとした。


ピエトロはイタリア語で羊飼いの意味だが、ローマのサン・ピエトロ寺院の名前が有名だ。

サン・ピエトロ寺院

村田社長が制作した陶器を、ミラノで展示会を開くことになり、その売り上げ金をすべて、ミラノの伊日文化交流会に寄付したという。

現社長の高橋氏は、創業者を称賛しつつも、「変えないものと変えるもの」、「ぐいぐい引っ張るSL型」から、「各車両にモーターがついた新幹線型」の経営をめざしている。

日本国内だけでなく、全世界にピエトロの製品が広がるだろう。

2024年3月8日金曜日

国際女性デー

 3月8日は国際女性デー。女性たちが達成してきた成果を世界中で認識し、ジェンダー平等をめざして連帯、行動する日だそうだ。

国際女性デーは1975年に国連で始められた。そもそもは1900年代初めに北米やヨーロッパで起きた女性の労働運動に端を発していると言われる。

1926年生まれの私は、今日はじめてこの日を知った。

大学卒業まで男女共学はなく、結婚当時も寿退社が普通で、共働きは殆どなかった。

しかしその後女性の社会進出が増えて、少子化が進んでいる。第3次世界大戦の気配もましている。

地球上には、50億人以上の人間存在は無理だといわれている。そのためにも、国際女性デーは必要だろう。

「光る君へ」でなく、「光る姫へ」の時代だ。