2015年4月25日土曜日

未来予測:第4の波

 アルビン・トフラーは、第1次の農耕革命、第2次の産業革命に続く第3の革命の波として情報革命をとりあげて「未来の衝撃」の著書をだし、大きな反響をよんだ。
 たしかにその後の半世紀で、コンピューターやネットワークの世界は、当時の予測以上の技術進歩をとげて、社会を大きく変化させてきた。
 それから半世紀をすぎて、最近つぎの第4の波の話題がマスコミに登場するようになった。
 先日も、NHKの白熱教室での放送番組で、最近のバイオやAIやナノ技術などの進歩をとりあげて、いろんな可能性を紹介していた。
しかし未来はばら色にみえるが、単純に喜んでばかりはおられない。
 第3の波のときもトフラーらは対談で、「技術進歩の裏面には、核や環境破壊や管理社会による人間とその人格の破壊の危機があることを指摘し、これらを乗り越える配慮が常に必要だと」と語っていた。
 近の青少年のネットグループ犯罪や、官邸のドローン事件などをみると、人間失格者がハイテクを振り回してしることが多く、取り締まる側が手遅れになっている。
 第4の波も、この状態がおこりそうで、手放しで技術進歩を喜べない心境だ。

2015年4月22日水曜日

奈良屋町

 博多のふるい町名に奈良屋町があり、奈良屋小学校もあった。
 町名の由来は奈良屋九兵衛がすんでいたからと言い伝えがあるが、その人物の詳細はわかっていないという。
 ネットでいろいろ検索してみると、酒屋で財をなした豪商だったらしく、奈良に祖先がいたらしいということがわかった。
 さらに江戸時代の系図のなかから、福山藩(備後)の福島正則(安芸・備後)が所領を没収されたあと、大和郡山から水野勝成がが入封したとき、奈良屋の宗家が福山についてきたことが記載されている。
 水野藩は5代でとだえ、松平、阿部と藩主が代わっていった。
奈良屋小学校
この間に奈良屋家は、この地区に縁者の多かった黒田の人 脈をたどって、博多の地に移りすんだのであろう。


福山時代の奈良屋家は、藤野家との縁組もあり、両家は親類だったことも記載されている。


どこまで真実かはわからないが、うちの子も一時福山勤務の時代があり、その妻は奈良女子大卒なので、不思議な縁を感じた。

2015年4月20日月曜日

棟方志功の美術館と思い出

青森の棟方版画の記念館館
 棟方志功の板画はすべて鎌倉の棟方版画美術館に展示されていると思っていたが、昨日のテレビで青森の棟方志功記念館に移されたことを知った。
 鎌倉のほうが、親族による管理運営が高齢化のため不可能になり、3年ほど前に青森の記念館にすべて移管されたようだ。
 管理運営に関係されていた知人のY氏も90歳をこえられ、最近の情報が入らなくなっていたので、昨日のテレビではじめて知った。
 青森は出身地だから当然だろうが、より遠くなったのは少し寂しいような気がする。
 しかしその他の地区の展示美術館が結構多く、岡山、神戸、富山、横浜、秩父などにあるようだ。
日頃はわが家にかざっている数枚の版画を楽しむことにしよう。

年月日は忘れたが私の現役時代、九州の西海道スケッチにこられたご夫妻を、安川電機で一晩接待したときのことを思い出す。
古い写真で少しぼやけているが、夫妻の間の後ろが私である。

宴席の写真では左手前が私で、夫妻の正面には安川寛社長・村上副社長がおられた。
奥さんの正面が私

その頃戴いた即席の絵が一枚手元にある。


おおらかな性格の志功画伯で、その日にテレビ出演される子供さんの話などでもりあがった記憶がある。

今日の読売に、棟方志功が「友達の大半は九州の人」と語っていたと書いていた。その一人に私もいれてもらえるかな?

2015年4月16日木曜日

医師関係のロゴ

アスクレオス医神
ギリシャ神話にでてくるアスクレオス医神は、左手に杖をもち、杖には蛇が巻きついている。
これが起源で、医学関係の組織のロゴマークには蛇が多く描かれているようだ。
また中世まで外科医は、床屋の腕前の達者な人物が主体だったそうだ。
これが起源となり、床屋の目印は、赤、青、白のトグロ巻きの円筒がまわっている。赤は動脈、青は静脈、白は包帯をあらわしているという。
医師になった孫がトグロにまかれていることを、はじめて知った。
医学関係組織のロゴ


床屋のロゴ

朝鮮通信使の歴史と国交回復

秀吉の没後に天下をとった家康が、朝鮮との国交を回復し、江戸時代には朝鮮通信使の交流が十数回行われた。














この国交回復にはその交渉役の対馬の宗家やその外交僧たちが、国書を偽造してまでして、両国の国王の面子をたてるよう努力した。

また、両国王もうすうすそれを感じつつも黙認して、国交の回復を承認した。また後に偽造が暴露されても、宗家を厳罰にはしなかった。
要するに国交回復による通商復興の利益が大きければ、国交の条件はかなり緩和されるものだ。


花鶴浦と朝鮮通信使
△△△近世にみる4自治体連携の足跡△△△
古代ばかりか近世約200年間(1607~1811)も、隣国朝鮮半島との友好関係が持続していました。その史実は朝鮮通信使に絡む足跡から明らかです。
花鶴浦の漁業権放棄は1658年。「江戸後期に花鶴浦から瓦を出荷していたのは確か」の証言とも合致。
私は黒田藩が莫大な費用でもてなした相(藍)島に宗像、福間、花鶴浦から人と物資が運ばれたと仮説。
朝鮮通信使と「しこふむ」4自治体の関わりを広域調査中。

いま米国とキューバ国が55年ぶりに国交回復をはじめた。

江戸時代のような国書の偽造はないだろうが、解釈のあいまいな表現の文言で、両国の面子をたてれば、回復は可能である。



2015年4月10日金曜日

南太平洋の島の歴史

天皇・皇后がパラオを訪問されて、南太平洋の島々がニュースになっている。
私の中学時代の教科書の地図をみると、日本は統治していた区域を6支庁に別けていた。
最西(↓印)がパラオ、最東(←印)がヤルードで、日付変更線に近い。
息子の嫁の父はパラオの生き残り、従兄弟の一人はサイパンで戦死、知人の父はヤルードのミレー島で玉砕など、70年前の激戦が思い出される。
硫黄島やサイパン島での玉砕の映画、
ミレー島戦士の証言動画(http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210035_00000)、
ガム島からの帰還兵の記憶などが頭をかすめるので、先日この南太平洋のクルーズ旅行を楽しんできた知人の話をきいて、いささか違和感を覚えた。
南洋群島の地図
多数の玉砕の島