2016年6月6日月曜日

藤原道長の出世

藤原道長は北家の生まれで、しかも五男坊であった。




1)長男・三男の死亡と次男・四男は側室の子で、五男に幸運が転げ込む。
2)長男の子供伊周との出世争いが続くが、姉詮子の支援をうけて上位にたつ。。

3)娘、彰子を一条天皇に嫁がせようとするが、なかなか気にいられぬので、紫式部を家庭教師につけて教養をつませる。
4)その結果、一条天皇も教養にひかれて妃にむかえる。
5)そして敦成親王が誕生する。
6)大原野神社への行幸に天皇と同行するまでになる。
7)左大臣を長くつとめ、最後は関白の位につくが短期間であった。


8)御所に匹敵するくらいの京都御苑、邸宅、法成寺などをつくる。




9)子息が宇治に平等院をつくり、満足の人生をむかえて、成仏する。。

0 件のコメント:

コメントを投稿