戦前に受けた古代の歴史教育は、皇国史観によるものだった。日本国のはじまりは、天孫降臨である。
「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯に天降りましき」
(古事記:神代巻)
日本書紀にも、同類の記事が何回も出てくる。
敗戦後、皇国史観はすっかり姿を消した。神話は史実とは関係なく、六世紀以降の作り話とする津田史学が主流となった。
しかし、時代はすすみ、文献と考古学的多角的実証による考察の時代となった。神秘的な神の歴史ではなく、人間の歴史として考える時代に変わっている。
古事記や日本書紀には、この天孫降臨の時代に活躍する人間が、銅矛や銅戈を使用していることが記載されている。
したがって日本に金属製品が存在するのは、弥生時代であるから、BC200年~AD300年の話である。
考古学の調査で、弥生時代の埋蔵品の銅矛や銅戈が最も多く出土するのは、九州北部である。
また銅器の鋳型の出土も、九州北部が多い。
したがってこの神話は、筑紫の國で弥生時代につくられたものと考えられる。
今までは、熊本・宮崎県境の高千穂町や、高千穂峰が候補地といわれてきた。
しかし福岡県の糸島郡誌には、高祖山連峯の中に日向峠があり、この一帯は日向と呼ばれていたと記載されている。
古事記の文章の「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯」は、上の図の高祖連峯そのものである。
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