2020年9月18日金曜日

国生み神話「天孫降臨」の現実

 戦前に受けた古代の歴史教育は、皇国史観によるものだった。日本国のはじまりは、天孫降臨である。

「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯に天降りましき」

            (古事記:神代巻)

日本書紀にも、同類の記事が何回も出てくる。

敗戦後、皇国史観はすっかり姿を消した。神話は史実とは関係なく、六世紀以降の作り話とする津田史学が主流となった。

しかし、時代はすすみ、文献と考古学的多角的実証による考察の時代となった。神秘的な神の歴史ではなく、人間の歴史として考える時代に変わっている。

古事記や日本書紀には、この天孫降臨の時代に活躍する人間が、銅矛や銅戈を使用していることが記載されている。

したがって日本に金属製品が存在するのは、弥生時代であるから、BC200年~AD300年の話である。

考古学の調査で、弥生時代の埋蔵品の銅矛や銅戈が最も多く出土するのは、九州北部である。



また銅器の鋳型の出土も、九州北部が多い。



したがってこの神話は、筑紫の國で弥生時代につくられたものと考えられる。

今までは、熊本・宮崎県境の高千穂町や、高千穂峰が候補地といわれてきた。



しかし福岡県の糸島郡誌には、高祖山連峯の中に日向峠があり、この一帯は日向と呼ばれていたと記載されている。


古事記の文章の「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯」は、上の図の高祖連峯そのものである。




このクシフル峯で、二二ギ命が語ったという言葉(古事記)の冒頭は、「此の地は韓国に向かい、・・・」である。
このセリフは、文字通り九州北部をさしている。

地名と銅矛、銅戈の出土が一致することから、六世紀の作り話などではなく、弥生時代の筑紫の郷族が語った物語と考えるべきである。

神話になったのは、それこそ「スター」という天空=上からのポジションから視聴者を虜にする、俳優的な神様が適任なのだろう。

 (古田武彦説の要約)

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