2021年8月16日月曜日

叔父戦死の碑

 わたしの最も身近な戦没者は母の一番年下の弟(叔父)である。海軍輸送機隊の隊長として活躍し、ボルネオ落下傘部隊を輸送したり、シンガポール、台湾、本土の間を往復していた。英国製のバッグや靴などの土産をくれていた。

写真はシンガポールのラッフルズホテル前でのスナップらしく、中央で軍刀をもっている。
唱和19年2月に、五竜号で本土に向かう途中で被撃し、低空飛行で長崎までたどりついけれど、悪天候もあって島原半島をこえられずに墜落し戦死した。
当時は陸軍幹部が搭乗していたので、東京で慰霊祭があり、私の父が出席したが、墜落場所は知らされなかった。
その後遺児の娘が長崎テレビの調査で、現地に地元の山林組合の人の意志で1968年に慰霊碑が出来ていることを知らせてくれた。
現地を調べ、私がお参りした時の写真が右である。近くに同じ曹洞宗の禅寺があり、古賀市小山田の長勝禅寺と兄弟寺であったのも不思議な縁であった。

墜落した飛行機の部品

わが家で唯一の敗戦の遺品は、戦死した叔父の飛行機が墜落した多良岳で、拾得した機体の一部品である。
令和6年80回忌に、慰霊碑は新しい場所に新規に増設された。





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