2015年11月30日月曜日

人工知能と人類

昨日のラジオ番組で、人類学者のこんな話をきいた。

「人類は二足歩行をするようなって、知能が他の動物より発達して、生存能力を高めた。
今や地球上で他の動物を制覇して、その数は膨張を続けている。

しかしその人類が、人工知能を開発しており、その人工知能の進歩のペースは、信じられないほど速い。

人工知能が指数関数的に成長しているので、深刻な危機が5年~10年以内に訪れる可能性がある。

人類の発達の歴史をみると、人間以上の知能が現れれば、人類は滅ぼされることは明らかだ。

一部の未来予測者は、ロボットの開発当初から、殺人ロボットの危険性を訴えていた。
進歩した人工知能が、人間を邪魔者として削除する殺人ロボットを生み出す可能性があるからだ。


このことを憂いて、既に先進的な人工知能企業は、安全を確保するために対策を練っているようだ。
その危険性をよく理解し、デジタル・スーパー・インテリジェンスを構築・管理すれば、悪質なものがインターネットに流出するのを防げるはずだが、悪の人工知能がどんな方法をうみだすかは予断を許さない。

このほかにも、地球温暖化や放射能汚染など、人類や地球生物の危険要素がある。
 
わたしなどはもうすぐあの世行きだが、孫や曾孫の時代は、きびしい世界になりそうだ。

2015年11月29日日曜日

あさが来たのモデル調査





あさが生まれたのは三井11家の一つ 
室町家(京都)  :      三井家 ⇒  今井家

あさの嫁ぎ先     
鹿島屋 ⇒ 加野屋     :     廣岡家  ⇒ 白岡家

姉はつの嫁ぎ先   
天王寺屋 ⇒ 山王寺屋  :     大眉家 ⇒  眉山家

登場人物        五代友厚 ⇒   五代才助

大久保利通 福沢諭吉 などは 実名で登場するらしい。

2015年11月28日土曜日

写楽とは?


三代目大谷鬼次の奴江戸兵」の浮世絵で有名な東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、とうじゅうさい しゃらく)とは、江戸時代中期の浮世絵師で、約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。
その出自や経歴については様々な研究がなされ、多くの候補者が取り上げられていた。


私もまだ謎の人物と思っていたが、先日のテレビで、現在では徳島藩蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 - 文政3年〈1820年〉)とする説が有力であり、確定的となっていると紹介された。


WIKIでも既に、この説が有力とかかれている。


斉藤は能役者であるから、浮世絵を書くこと伏せて、写楽という偽名をつかって出版した。


しかし“東洲斎”を並び替えると、“さい・とう・じゅう”(斎・藤・十)というアナグラムになると推測できる。


三期にわかれる作品は、皆短期間に描かれているのは、能役者の仕事の休暇中に、集中して作画をしたようだ。


現在でも絵を趣味としている俳優さんが何人かおられるから、不思議な話ではない。

貝原益軒と養生訓

貝原益軒の肖像図

数年前「歴史彩発見」の行事で、篠栗町の歴史資料館が、貝原益軒の生涯展を開催した。なぜ篠栗町で?という興味もあって、でかけてみた。
黒田藩士の子として福岡城下町でうまれ、墓も今川橋の金龍寺ある。


しかし父の貝原寛斉はいわゆる転勤族であったから、益軒は8歳から11歳にかけて父とともに篠栗の八木山に住んで、野山をかけめぐり博物学の基礎を身につけたという。12歳には怡土郡井原村に転居したそうだ。
多くの著書や関連の史跡の写真などが陳列されていた。


昨日はテレビで彼の「養生訓」をテーマにした歴史ドラマをみた。
83歳で養生訓をかき、当時としては超高齢の84歳でなくなった。
その秘訣は、彼自身が幼少期から病弱であり、眼病・胃炎・痔などでくるしんだ。
それを克服するためにいろんな医学や本草学など書物をよみ、それを自身で実証してみて、有効なことを実行し続けたことにあった。さらに妻の東軒も病弱であったので、彼女の病に対しても、いろんな実証を試みたという。

養生訓の教えの3重点は、1)腹八分、2)よく歩くこと、3)あっさりした食物で、現代でもよくいわれることだ。
そのほかストレスを持たぬように心がけ、音楽をたのしみ、酒も少量ならとすすめている。
彼が演奏していた琵琶の楽器が、箱崎八幡宮に残されている。
養生訓の記事内容の八割は、現代医学でも正しいとされているそうだ。
ただ22歳も年下の妻をもつことは、ちょっと真似できない。

ご子孫の貝原守一博士の「貝原益軒養生訓」は、戦時下昭和18年に福岡市で発行され、博士は惜しくも戦死されたので、稀覯本となっている。
博士は九州帝国大学医学部細菌学教室の助教授であり、その注は医学的には勿論のこと文献学的にもきわめて価値あるものである。
その他ご子孫には、整形外科医や高校教師などおられるようだ。
現代では、昆虫学の養老先生の活動が、益軒の姿を連想させる。


2015年11月18日水曜日

廣岡浅子が経営した炭鉱


NHK連続テレビ小説「あさが来た」で紹介された広岡浅子(安川敬一郎と同年)が経営した飯塚の炭坑をしらべると、牟田炭鉱・潤野炭鉱・日鉄二瀬炭鉱である。
そのころに 石炭の重要性が知られ始め 広岡家も九州福岡県飯塚の潤野炭坑などの経営をはじめ、帆足義方に運営を任せていたが、経営状態が悪くなる。
広岡浅子自らが潤野炭坑にやってきて、炭坑の荒くれ男を使い多くの困難を乗り越えて経営の建て直しに成功する。
明治32年富国強兵の国策で 官営・八幡製鉄所が造られ、製鉄に必要で良質な石炭を調査する中で 潤野・高雄炭鉱が良質炭の為に、国の買収を受け 官営・日鉄二瀬炭鉱となる。広岡浅子は、大金を得て大阪に戻る。

広岡浅子(ドラマでは、白岡あさ)は、京都・出水三井家の出身で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ家業を立て直し、筑豊の炭鉱経営を経て、日本女子大学の創設に尽力し、大同生命の設立に携わりました。

江戸時代末期・明治・大正の激動の時代を駆け抜けた浅子の生涯の中で強烈に印象付けるものは、筑豊の炭鉱・潤野炭鉱(ドラマでは、加野炭鉱)とのかかわりです。

明治19年(1886年)に夫の広岡信五郎(ドラマでは、白岡新次郎)は、福岡県穂波郡潤野村(現 福岡県飯塚市潤野)にあった潤野(うるの)炭鉱(ドラマでは、蔵野炭鉱)を買収し炭鉱主となりました。

潤野炭鉱は、明治16年に帆足義方が採掘を始めていた炭鉱でした。帆足は元々軍人だったが、西南戦争で九州を訪れた時に炭鉱業の将来性を見越して軍を退職、そのまま筑豊で炭鉱業を 始めていた。

明治初期の筑豊炭鉱は、江戸時代の福岡藩の統制がなくなり、一攫千金を夢見る旧藩士や農民、村役人たちが手がけました。その後国の政策と指導により大手資本が進出し、出炭量は増大し全国有数の産炭地となりました。
然し、当時は、新興産業で小炭鉱の多い筑豊は、群雄割拠の状態でした。明治10年(1877年)代には、600余りの炭鉱がありました。
その後、機械化が進み、大規模化する採掘には豊富な資金が必要でした。大阪や東京にも出資者を求め、浅子もそんな時代の流れに沿って筑豊飯塚の潤野炭鉱にやってきました。
    (以上飯塚歴史資料館の資料より)
いま現地で見学できるのは
牟田炭坑跡 --牟田炭坑巻上げ機台座跡 --
潤野炭坑跡(現在・嘉穂高校と若菜小学校)-- 災害死者の碑 --潤野炭坑ボタ山跡(若菜上水タンク)
日鉄二瀬中央鉱(現在・イオン・ジャスコ)--旧日鉄正門碑 

 

嘉穂高校正門:



この南東約100Mの墓地(飯塚市潤野120番地45 (字登々樹)の 中にある 潤野炭坑災死者の碑: 

「これは明治36年1月、潤野鉱本坑において死者64名を出すガス爆発事故があった。 同碑の裏面には、殉職者64名 の名が刻まれ、そのなかに女坑夫17名の名も記載されている。」
 ただし 広岡浅子所有の元炭鉱であったが、災害当時は既に 日鉄二瀬潤野鉱に売却後の災害である。
ここには戦後石炭ブームの頃、私の友人も就職して働いていた。
 
 またこの潤野地区では、戦国時代に宗像氏と大友氏が勢力争いをして、立花城の若手武士立花宗茂や薦野増時らが初陣で活躍した場所としても知られている。

2015年11月14日土曜日

安川電機100周年記念モニュメント



安川電機新本社の1階エントランスホールには、100周年記念モニュメントが設置されました。

高さ4.8mのクリスタルガラスの彫像で、屋外からも見ることができます。「創造の源泉」を象徴する存在としてギリシャ神話で知的活動を司る女神「ミューズ」をモチーフとした「PixCell-Double Muse」がお客様をお出迎えします。


PixCell-Double Muse

ギリシャ神話で有名なゼウスには愛人として、記憶の女神ムネモシュネがいました。

ゼウスは女神ムネモシュネと九夜の間一緒に過ごし、 1年後女神ムネモシュネはオリュムポス山の頂上付近で9人の同じ気性の娘ミューズ(もしくはムーサイ)を産みました。

この9人の娘こそが、今回の主役の9柱の女神です。彼女達は後にミューズと呼ばれ、歌を司り、記憶を助ける芸術の女神達となりました。

動詞museは瞑想する意味、music,
musician,musicalなどはこれから派生したと言われています。
九姉妹の姿
(9姉妹の名前と各守護分担内容は,クリオは歴史,エウテルペ抒情詩タリアは喜劇,メルポメネは悲劇,テルプシコレは舞踊,エラトは恋愛詩,ポリュムニアは賛歌,ウラニア天文学カリオペ叙事詩の守護者とされますが,この分担については諸説があり,一定していません。)


彼女達の生まれたオリュムポスの高嶺の舞踏場を館として、 ミューズはカリスやエロスの分身ヒメロスと住んだと言われております。  

9人のミューズは不死の神々を称える讃歌を歌いながらオリュムポスに赴き、 9人のミューズがオリュムポスの頂に着くと雲に包まれて、 彼女たちが歌う美しい歌声は夜しか聞こえなくなったと言われています。

その歌声は、エントランスホールでも聞こえませんでしたが、近くにある未来館で、各種ののロボット展示やゲームで、にぎやかに聞くことができました。
未来館


わが家には、イタリアのヴェネツィアで買ったガラスの人形があったが、地震でこわれてしまった。

2015年11月13日金曜日

安川敬一郎物語(神田紅)

各地の偉人伝を講談にしている神田紅さんが、北九州市で「安川敬一郎物語」を演じている。
10月末に戸畑会館で演じたたのが最初で、昨日1(1月12日)は安川電機本社の社友会の集まりで第2回目を演じた。
安川電機は創業100周年記念の年で、創業者安川第五郎の父で、明治炭鉱で財をなした安川敬一郎の名を広めるには丁度よい講談である。
社友である私もこの名前は当然よく知っているし、フェイスブックで戸畑会場には孫の山下妙子さんがこられたこともわかっていた。しかし炭鉱経営以外の社会貢献については、それほど詳しくないので、丁度よい企画であった。
いまNHKの朝ドラの主人公と敬一郎が同じ年のうまれで、ともに筑豊の炭鉱経営に関係するところから話がはじまった。
最初に経営した東谷炭鉱
親友平岡浩太郎が政治の道で、敬一郎は財界の道で北九州の発展のため協力して、鉄道の敷設や洞海湾の浚渫や官営製鉄所の誘致などを推進していく。
平岡と安川

石炭積み出し港としての洞海湾の浚渫は2.5mであったが、鉄鉱石積載の大型船のためには6mの浚渫が必要で、大変苦労したという詳しい話まででた。
洞海湾浚渫図
そのほか紡績業や製鉄用窯業などへの事業展開と明治工業専門学校(現在の九州工業大学)の設立などの功績を紹介する講談で、社友も大拍手で終了した。


2015年11月2日月曜日

水廻りの汚れ

トイレや風呂場など水廻りの器具は水垢などのよごれがつきやすい。
高齢者はそれに鈍感になり、また掃除も億劫になって放置している。
先日義弟に叱られて、ホームセンターにいき、汚れ落としの洗剤や
サンドペーパーなどを買って来た。
WCの手洗い廻りと風呂場の鏡周辺の汚れを、2日かかりで清掃した。
ほぼ綺麗に取れた後は、やはり気持ちがいい。