小牧市歴史館 織田信長は、1560年6月12日(永禄3年5月19日)の桶狭間の戦いに勝利したのち、念願の美濃国併呑を実現すべく、早くもその3ヶ月後から美濃攻めを開始した。 |
従来小牧山城は、4年間しか使用されず、あと岐阜城、安土城と移動したために、美濃攻略のための土塁による仮住まいの城と考えられていた。
しかし2004年からの試掘調査で城の主郭の四方を石垣で囲んだ本格的な城であることが判明し、当初信長は長期滞在も考えていた可能性が指摘されている。
信長が築いた小牧山城の構造は、山全体(約21ha)を城域とし、多数の曲輪と重臣の館から成っていたということがわかった。
また、山麓南側から西側にかけては、清須から移転させた城下町が形成された。したがって築城の基本構想は、安土城とほぼ同じであったことがわかった。