2017年10月23日月曜日

寝るときは左向きに。

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睡眠の姿勢で推奨されているのは、体の左側を下にした「左向き」の睡眠です。
以下、左向き睡眠が体にもたらすメリットをまとめてみました!

1. リンパの流れを促進する

リンパ管の分布は左右対称ではなく、主に体の左側が優位になっています。
左を下にして寝ることで胸管やリンパ節を介して、体の毒素や老廃物、病原体などを効率よく処理(ろ過)することができます。
つまり左向き睡眠はリンパ系の機能を促進し、体内の老廃物を取り除く機能を向上さるのです。
右側を下にして寝るとリンパ系の働きを低下させる恐れがあります。

2. 心臓の負担を軽減する

左側を下にして寝ると重力に従がって心臓への血行、心臓からの血行がよくなります。
それは、ほとんどの人の心臓は体の左側に位置しており、心臓から腹部へと繋がる大動脈(全身へ送られる血液循環の大もと)も
左側へとカーブを描きながら曲がっているからです。
血液が送り出されやすくなることで心臓への負担が軽減され、稼働効率も良くなるのです。

3. 消化機能の促進

左側を下にして寝ることで、消化系の臓器、胃やすい臓への負担を軽減し、消化作用が促進されます。
また、胸やけの原因となる胃酸の食道への逆流を抑制することもできます。
逆に右を下にして寝ると、症状を悪化させてしまう恐れがあります。
さらに、重力によって大腸から結腸に便が移動しやすくなるため、
目覚めた時に排便も自然と促されるでしょう。
食後に胸やけを感じるときは、左を下にして横になってみてください。

4. 膵臓機能の促進

胃と膵臓は体の左側に位置しています。
右側を下に横になると膵臓に胃がもたれかかり、その機能を妨げてしまいます。
胃液の流れを正常に保ち、膵臓酵素の分泌と食べ物の緩やか消化を促すのは左向き睡眠です。
右向き睡眠では、この規則正しい消化リズムが乱れてしまう恐れがあります。

5. 脾臓の負担を軽減

左向きによりいい影響を受けるのが脾(ひ)臓です。
脾臓はリンパの塊のようなもので血液中の古くなった赤血球をこわしたり、体の中に入ってきた病原菌などとたたかう抗体を作ったり、新しい血液を溜めるはたらきをしています。

正常な消化機能、リンパ機能を守っている臓器で体の左側にあるため、心臓同様、重力に逆らわない向きが最適なのです。
睡眠時の姿勢はあなたの健康に影響を与えるということを覚えておいてください。
これからは右向きではなく左向きです。
ぜひ試してみてください!

2017年10月20日金曜日

徳川家康の死因諸説

家康の死因については、をかやの油で揚げ、その上にすった韮をすりかけた天ぷらによる食中毒説が長く一般化されてきた。

しかし、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、1月21日の夕食で、死去したのは4月17日と日数がかかり過ぎていることから、食中毒を死因とするには無理があった。

替わって主流となっているのは胃癌説である。『徳川実紀』が家康の病状を「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と書き留めていること、および、係る症状が胃癌患者に多く見受けられるものである事実が、その論拠となっている。

その他に鷹狩の帰路に暗殺されたとゆう説が最近報じられている。
静岡県議員の良知淳行(あつゆき)に家の伝承で、庄屋だった良知家に、鷹狩の帰路に狙撃された家康が担ぎ込まれが、そのまま亡くなったということだ。
犯人は、秀忠の部下で、いつまでも大御所として采配する家康が邪魔となり、秀忠が命じただろうという説と、妻のお江が国松を後継者から外されたことを恨み、刺客を送っただろうという説がある。

さらに大坂夏の陣で、後藤又兵衛に襲撃され死亡したという説もある。
その後1年間は影武者が家康の代役を務めたという。その後子孫が小倉藩主となった小笠原秀政がその人物だったようだ。本人は大阪夏の陣でなくなったことになっている。
大坂の南宗寺に家康の墓があり、死後8年して秀忠、その後、家光などがお参りした記録が残されている。





2017年10月12日木曜日

元寇からモンゴルの襲来へ?


日本の大相撲では、モンゴル出身の力士が大活躍している。
そのモンゴルの主都ウランバートルは今や近代的な大都市に変身している。その中央部には、大きなチンギスハン【成吉思汗】の銅像がある。テレビロケなどをみると、住民は親日的な人ばかりである。
しかるに日本の文部省は、最近中学校の歴史教科書で、「元寇」から「モンゴルの襲来」へ変えようとしている。その意図は単に解りやすいということだけだろうか。
歴史的背景はかなり複雑なので、簡単に変えるには問題がありそうだ。
当時世界最大最強の帝国であったモンゴル帝国の最強の兵は、もちろんモンゴル人の騎馬隊(特に弓騎兵)だったが、元寇において日本を侵略したのは、モンゴル人の騎馬隊が中心ではなかった。
元寇は、元朝の属国となった第25代高麗王の忠烈王が、フビライ・ハーンに日本侵攻を強く進言し、文永の役
では高麗が大規模な戦艦と人員を、弘安の役では、南宋の戦艦と人員を追加して襲来したのだ。




だから「元寇」から「モンゴル襲来」へと歴史用語をスライドすることは、
1)「元」という中国の王朝による、日本への侵略(ゆえに「元寇」)
2)「高麗」による対馬・壱岐での日本人への残虐行為や漢軍による侵略行為
この二つの史実を中学校の歴史教育の段階から外し、
あくまでモンゴルが日本を襲来した(中国も朝鮮も関係ない)という誤ったイメージを増幅しかねず、かえって歴史教育を歪んだものにしかねない。

現在、「日本は歴史を直視せよ」という隣国の主張を多く聞くが、元寇の話題は忌避されている。

以上のことから、中学校の学習指導要領においては、従来どおりの「元寇」を用いることが、日本の歴史を知るうえでも、モンゴル国の歴史を知る上でも、より妥当であると思う。

2017年10月8日日曜日

認知症の進行判断:(中核症状)

中核症状は、認知症の本質的な症状であり6つに分けることができる。

  • 記憶障害
  • 見当識障害
  • 判断力障害
  • 性格の変化
  • 高次機能障害(失語・失認・失行)
  • 実行機能障害
認知症の検査では、主に記憶力テストが行われるが、見当識、判断力、性格の変化などは、詳しいカウンセリングでないと、判らない。
わが家のように、96,91才の老夫婦二人の生活では、意志の疎通がうまくいかないことが時折生じる。

お互いに、認知症のうちの大きな行動症状まではまだ現れていないが、中核症状的な現象がかなりみられる。

失認・失行・失語が一番多いが、判断力障害なども時折おきて、二人が衝突することがある。性格も少し変化して、性急で怒りっぽくなっている。
冷静に判断して進行しないようにつとめようと思い、ネットで少ししらべたら、このwebがいちばん解りやすいように思えた。

{認知症の初期症状「7つのサイン」を見抜き}
https://athome-kaigo.jp/initial-symptom-dementia


実際に「中核症状」は、初期症状として次のような形で現れる。

  • 同じことを何度も言う
  • 忘れ物や探し物が多くなる
  • 約束の日時や場所を間違える
  • 落ち着きがなくなり、怒りっぽく、頑固になる
  • 単純な仕事や計算に時間がかかる
  • 料理を焦がすなど失敗することが増える
  • 洋服に気を遣わず、同じ服ばかり着たり、だらしない恰好や季節外れの格好が増える

以上が、「中核症状」で引き起こされる初期症状だ。2項目以上当てはまる方は、認知症や前段階であるMCI(軽度認知障害)の可能性がある。