2022年11月30日水曜日
福岡発の世界基準
2022年11月27日日曜日
東博国宝展
東京国立博物館(東博)は、令和4年(2022)、創立150年を迎え、 明治5年(1872)の発足以来、日本でもっとも長い歴史をもつ博物館として、 かけがえのない文化財の保存と公開という命題を両立させながら、日本の文化を未来へ、 そして世界へ伝えていく役割を果たしてきた。
本展は、この大きな節目を記念して開催するもので、 150年の間に積み重ねられた約12万件という膨大な所蔵品の中から、国宝89件すべてを含む名品と、 明治から令和にいたる150年の歩みを物語る関連資料を通して、東京国立博物館の全貌を紹介し、 展示は2部構成で、計150件を展示する。
このためTVで、何回も関連の番組が登場し、展示品の歴史や評価や修復の苦労話などが放送された。
過去に直接見た記憶のあるものもいくつかあったが、あとは映像でみたものが殆どである。
わが家に国宝レベルのものがあるわけはないが、人間国宝の中島宏の、青磁の壺はひとつある。安川電機退職記念に、安川寛会長からいただいたものである。
安川会長の自伝を読んでいたら、中島さんの窯元に行こうと誘われたのは高松宮であったと書いてある。ゴルフや陸上競技で深い交流があったらしい。これ以来会長も青磁にとりつかれたようだ。
我が家の宝にしなければと思い、中島さんの作品集の本を購入して調べたり、壷は大事にかざっている。
また岩田屋での作品展示会にでかけたり、天神でのご本人の講演会にでかけて、青磁の歴史の話をきいたりした。
また引野窯にも出かけ、本人は不在であったが奥さんから自宅の展示品などを詳しく説明してもらったことがある。
若くして亡くなったのは残念である。
静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)
静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)は、東京都世田谷区岡本にある専門図書館。日本および東洋の古典籍及び古美術品を収蔵する。東京都千代田区丸の内の静嘉堂文庫美術館で収蔵美術品を一般公開している。
概要
事業主体は公益財団法人静嘉堂。同財団は三菱財閥が第2代総帥岩崎弥之助・第4代総帥岩崎小弥太父子が所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足した。「静嘉堂」は弥之助の堂号である。
世田谷区の静嘉堂文庫は内外の古典籍を研究者向けに公開する専門図書館である。千代田区の明治生命館で運営している静嘉堂文庫美術館(愛称「静嘉堂@丸の内」)は、収蔵美術品を一般公開する展示ギャラリーである。
沿革
静嘉堂文庫は、岩崎弥之助が1892年(明治25年)、神田駿河台(東京都千代田区)の自邸内に創設した文庫「静嘉堂」を起源としている。静嘉堂の名は『詩経』大雅、既酔編にある「
翌1908年の弥之助死後、その子岩崎小弥太は、父の遺志を受け継ぎ、文庫を拡充し、1911年には岩崎家の高輪別邸(東京都港区、現・開東閣)に移転。さらに1924年には世田谷区岡本にある弥之助の墓の隣接地に桜井小太郎の設計で静嘉堂文庫を建て、広く研究者への公開を開始した。1940年に小弥太は財団法人静嘉堂を創立し、蔵書や文庫の施設など一切を財団に寄付して、岩崎家の家産から切り離した。
太平洋戦争後、財政難に陥るが、1953年に同じく三菱系の私立図書館である東洋文庫(創設者は岩崎弥太郎の子で、三菱第3代総帥の岩崎久弥)とともに、国立国会図書館の支部図書館となって、資料の公開を継続することができた。これは、文庫の資料と施設を所有する財団法人が国立国会図書館と契約を結んで図書館部門を国会図書館の支部図書館としてその傘下に組み入れ、図書と施設は財団の所有に残したまま、財団の図書館業務の人的部分を国会図書館に委託するというものである。
その後、静嘉堂文庫は三菱グループの援助を受けて1970年に国立国会図書館の傘下から離れ、再び三菱グループ経営の私立図書館となった。1977年からは付属の展示室を設けて文庫の収蔵する美術品の公開を開始し、1992年には創設100周年を記念して建設された新館に恒久的な美術館(以下「旧美術館」)を開館した。
世田谷区の旧美術館は2021年に閉館し、準備期間を経て2022年10月1日に東京都千代田区丸の内の明治生命館に移転し「静嘉堂文庫美術館(愛称「静嘉堂@丸の内」)」として再開館した。移転するのは展示ギャラリーのみで、美術品の保管、静嘉堂文庫(書庫)の業務、および庭園の管理は引き続き従来の世田谷区岡本で行われる。この移転は美術館の開館30周年ならびに三菱創業150年(2020年)の記念事業の一環として行われるものである。
2022年11月、NHKの日曜美術館で、この歴史や展示品の公開内容が詳しく紹介された。
2022年11月25日金曜日
2022年11月19日土曜日
京都の大報恩寺と承久の乱
先週のテレビで紹介された京都の大報恩寺。この本堂は応仁・文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっているという。郊外にあるのかと思ったが、北野天神(北野天満宮)の近隣にあり驚いた。
2022年11月16日水曜日
加瀬英明
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日[1] - 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。自由社社長。助川 明(すけがわ あきら)朴泰赫(パク・テヒョク)の名前も使用。
日本会議代表委員、日本教育再生機構代表委員などを務め、右派・保守の論者として知られた。
来歴[編集]
東京府出身。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。
慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。
青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任した。
2022年11月14日月曜日
邪馬台国と不弥国の地理的位置
【不彌国の地理的位置】
2022年11月13日日曜日
徒然草
「住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。」
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。」第7段|あだし野の露
[要約]
死があるから生が輝く
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
現代語訳
露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。
だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。
かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の蟬のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。
もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。
その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。
更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。
2022年11月10日木曜日
2022年11月9日水曜日
不戦日記 山田風太郎
テレビで山田風太郎の人生を紹介していた。彼の作品は殆ど知らないが、私と同じ世代なので、戦中派としての戦争観には同じものを感じた。
2022年11月8日火曜日
旧制福岡高校の面影と陸軍墓地の思い出
旧制高校の思い出と終焉 : ふるさとナビ(fujino@古賀) (exblog.jp)
自宅には古いアルバムがあるが、老人ホームの手元にはない。
戦前に、六本松の寮に入った最初の試練は、近くの陸軍墓地に、真夜中にお参りするという
肝試しの行事であった。
高い石段をのぼると、古めかしい大きな石碑が2,3基あったと記憶している。
最近の写真をみると、すっかり開発されて、綺麗な公園のような墓地になっている。
これなら肝試しにならない風景である。
「最高の人生のつくり方」
10月下旬の映画会は、「最高の人生のつくり方」だった。(2012)
2022年11月7日月曜日
「エマニュエル・トッド」
原田義昭の説
「知の巨人」、かく言う
2022年11月6日日曜日
2022年11月5日土曜日
釈迦のいう五蘊(五温)
釈迦のいう五蘊(五温)とは、想・行・識・色・受である。