医療勉強会での 評論家「寺島実郎(じつろう)」氏の講演
地球が誕生して46億年、ウィルス微生物は30億年、人類(ホモサピエンス)が生まれて20万年、ウィルスは人類よりはるか早くから存在している。
感染症(パンデミック)は、ペスト(14世紀末)、コレラ(19世紀)、スペイン風邪(1918年)、香港風邪(1968年)、HIV(20世紀)、インフルエンザ、エボラ出血熱、コロナ禍と続く。
医療勉強会での 評論家「寺島実郎(じつろう)」氏の講演
地球が誕生して46億年、ウィルス微生物は30億年、人類(ホモサピエンス)が生まれて20万年、ウィルスは人類よりはるか早くから存在している。
感染症(パンデミック)は、ペスト(14世紀末)、コレラ(19世紀)、スペイン風邪(1918年)、香港風邪(1968年)、HIV(20世紀)、インフルエンザ、エボラ出血熱、コロナ禍と続く。
[業の花びら] 宮澤 賢治
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松とやなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
〔山地の神々を舞台の上にうつしたために〕
はげしく寒くふるへてゐる
ああ誰か来てわたくしに云へ
億の巨匠カミ並んで生まれ
しかも互ひに相犯さない
明るい世界はかならず来ると
しかもいったい
たれがわたくしにあてにならうか
どんなことが起らうと
わたくしはだまってひとり行くだけだ
…… 唐ュでさぎが鳴いてゐる 夜どほし赤い眼を燃して
つめたい沼に立ち通すのか……
(祀られざるも 神には神の身土がある)
松並木から雫が降り
そらのはるかな高みでは
風もごうごう吹いてゐて
わつかのさびしい星群が
雲から洗ひ出されては
その偶然な二っつが
黄いうな芒で結んだり
残りの巨きな草穂の影が
ぼんやり雲にうつったりする
岩手県花巻市出身の詩人・童話作家の宮沢賢治。死後3年後(昭和11年)、賢治を記念する詩碑が建てられた。
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石碑の詩は雨にもまけず |
碑文は、有名な賢治の代表作「雨ニモマケズ」だが、詩を選ぶにあたって関係者が協議した際、最初に賢治の父親が提案したのは「雨ニモマケズ」ではなく、「業の花びら」という詩だったという。
父・政次郎は、なぜ数ある賢治の作品の中から詩「業の花びら」を、賢治の詩碑に相応しいと考えたのか?
父と子にとって“業”は、どういう意味を持っていたのだろうか。
賢治に関する著書もあるディレクター今野勉が、その謎を追う。
2018年に放送し、話題になった4K放送特番「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅〜慟哭の愛と祈り〜」の内容を踏まえ、新たに、今まで様々な推測がなされてきた「父親との関係」「父子二人だけの関西旅行」を検証、“業”をテーマにした詩「業の花びら」や童話「二十六夜」の真実を解き明かす番組であった。
『小説 アルト・ハイデルベルク』は、私にとって、青春時代の思い出の書で、旧制中学の演劇部がドラマを演じたのでさらに記憶に強くのこっている。
ドイツ・ザクセン地方のカールブルク公国の公子、20歳のカール・ハインリヒがハイデルベルク大学に留学した時のこと、下宿兼居酒屋で働く明るい17歳の娘、ケーティと親しくなる。
しかし、3カ月後、伯父・大公の病気が重くなり、跡を継ぐため故郷に呼び戻される。
身分違いの悲恋を描いた甘ったるい純愛物という悪口もあるが、こういう青春の書があってもよい。
若い時に、ハイデルブルクを一人旅で訪れたことがあるが、ここでカールとケーティが語り合ったのかといささか興奮したことを懐かしく思い出した。
その時、登ったハイデルブルク城は古城の雰囲気を湛えた魅力的な城であった。
その後業務でミュンヘンの企業を訪問したとき、ちょうどその日の夏の夜にこの古城の中で音楽会があるので、招待された。
そのメインは「花火」という交響曲で、演奏音楽と打ち上げ花火の音をうまく組み合わせる演奏で、
山間に響く花火の光と交響曲の音楽に酔いしれた。
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ヘンデルの「The Musick for the Royal Fireworks] |
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指揮者の挨拶 |
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ハープ演奏者は日本女性 |
サンフランシスコのロンバートストリートは、世界一長い坂道として有名である。
はじめて渡米した時も、早速名所として案内されたが、ちょうど自転車で大陸横断した学生グループが、この坂を自転車で下って来ている時であった。
その夜景のきれいなフォトも懐かしい。
観光客が増えすぎて事故も多発し、通行禁止や制限の意見も出ているようだ。
抵抗を受けずに、10万人以上の兵士と1万台の車両が上陸できた。
この作戦の成功のうらには、「ミンスミート作戦」という欺瞞作戦が計画され、ドイツ軍はその情報によって、守りの重点をギリシャとサルディーニア島においていた。
その詳細が、昨日NHKのダークサイトミステリで紹介された。
この上陸作戦の成功で、イタリアが降伏し、ドイツ軍は劣勢となって、1944年6月のノルマンディー上陸作戦により、連合国軍の圧勝となり、ヒットラーは自殺した。
腎臓で造血ホルモン(エリスロポエチン:EPO)を生み出す細胞が、EPO産生に特化したプロ集団であることを、京都大学の柳田素子教授(WPI-ASHBi主任研究者)と金子惠一特定病院助教らの研究グループが明らかにしました。副作用の少ない腎性貧血治療薬の開発に貢献する成果です。
慢性腎臓病は、成人の8人に1人が罹ると言われ、患者の多くが貧血(腎性貧血)を発症します。
腎性貧血は、腎臓の線維芽細胞でEPOを生み出す能力が低下し、赤血球が減少するために起こることが知られています。しかし、腎障害によりEPOを産生できなくなった細胞の観察が難しかったため、EPO産生細胞の性質には不明な点が多く残されたままでした。
柳田教授らは、EPO産生細胞を、任意の時点で標識し、永久に追跡できる遺伝子組み換えマウスを作成し、健康な腎臓と、慢性腎臓病の腎臓におけるEPO産生細胞の振る舞いを解析しました。
その結果、健康な腎臓では、線維芽細胞のごく一部に当たるEPO産生細胞が、繰り返しEPOを産生していました。
一方、慢性腎臓病の腎臓では、EPO産生細胞はEPOを産み出す能力を失い、腎機能を損なう線維化に寄与するものの、腎障害の回復とともに、その能力を取り戻すことが明らかになりました。
EPO産生細胞は、EPOを生み出すことに特化した、プロフェッショナルな細胞集団だったのです。
現在、腎性貧血の治療薬として、合成EPOの注射薬や、自分自身のEPOを増やす治療薬(HIF-PH阻害薬)が用いられています。
しかし、いずれの薬剤においても、血栓症や腫瘍増大などの副作用が懸念されています。
柳田教授らは、「より副作用の少ない治療薬の開発には、EPO産生細胞の性質をさらに究明しなくてはなりません。今回作成した遺伝子組み換えマウスを活用して、EPO産生細胞を回復させる方法の開発にも取り組んでいきます」と話しています。
1日約150Lもの原尿をつくる腎臓。
腎臓は原尿を「血液に戻す分」と「オシッコとして排出する分」とに仕分けし、体内の水分、塩分、血圧などを一定に保つ。
腎臓は、水分以外でも、血液内の多くの成分を正常値に保つ作用を果たしている。
近年、血中のリンを多く排出できる腎臓を持つ動物ほど寿命が長いことがわかった。
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リンが少ない動物ほど寿命が長い |
1) 遠景山摠見寺は、滋賀県近江八幡市の安土城跡にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
天正4年(1576)安土城築城の際、織田信長が他所から移築し、安土城本丸の西の峰に自らの菩提寺としたといわれる。![]() |
摠見寺の楼門 |
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三重塔 |
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信長の神の石も祀った本堂の想定図 |
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安土城の上り石段 |
本能寺 | 京都市中京区 | 信長所蔵の太刀が納められている |
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阿弥陀寺 | 京都市上京区 | 清玉上人が集めたとされる遺骨があると伝わる |
大徳寺総見院 | 京都市北区 | 秀吉が造立。木造を焼いた灰が納められている。帰蝶(濃姫)やお鍋の方の墓もある |
大雲院 | 京都市東山区 | 信忠の菩提寺。信長、信孝の墓石がある |
妙心寺玉鳳院 | 京都市右京区 | 信長乳母養徳院の菩提寺や、滝川一益の墓もある |
建仁寺本坊 | 京都市東山区 | 供養塔がある |
今宮神社 | 京都市北区 | 旧阿弥陀寺にあった祠を移す |
建勲神社 | 京都市北区 | 信長を祭神として東京の織田子爵家邸内に建てられたが、明治13年に遷座 |
聖隣寺 | 京都府亀岡市 | 信長の子で、秀吉の養子となった秀勝が建立 |
高野山金剛峯寺 | 和歌山県高野町 | 明智光秀・豊臣秀吉などの墓もある |
西光寺 | 滋賀県近江八幡市 | 元は安土城下に所在したが、豊臣秀次が近江八幡城を築城した際に移築 |
(安土城内)総見寺 | 滋賀県蒲生郡安土町 | 信長の一周忌に秀吉によってつくられた廟所 |
南宋寺 | 大阪府堺市 | 徳川家康・千利休の墓もある |
崇福寺 | 岐阜県長良町 | お鍋の方が信長・信忠の遺品を埋めたとされる |
総見寺 | 名古屋市中区 | 清洲会議によって尾張を所領とした織田信雄が父を弔う為に建立、江戸期に名古屋に移転 |
総見院 | 愛知県清洲町 | 供養塔がある |
長興時 | 愛知県豊田市 | 一周忌に描かれた信長の肖像画と位牌がある |
織田剱神社 | 福井県織田町 | 織田家が神官を勤めた神社 |
泰厳寺 | 熊本県八代市 | 細川忠興が丹後の宮津に建立し江戸期に移転 |
瑞龍寺 | 富山県高岡市 | 前田家の菩提寺で前田利家と並んで信長・信忠父子の供養塔がある |
本門寺 | 静岡県芝川町 | 本能寺の変の際に信長の首が密かに持ち出され、この寺の柊の木の下に埋められたという伝説がある |