太平洋戦争開戦当時、ハワイ湾での特殊潜航艇攻撃はすべて失敗し、9軍神の発表があったのは有名である。
しかしその後、豪州シドニー湾での特殊潜航艇作戦は、当時の新聞に小さく報道されただけで、忘れされれようとしている。
特殊潜航艇によるシドニー港攻撃(とくしゅせんこうていによるシドニーこうこうげき)とは、太平洋戦争中の1942年5月31日に、オーストラリアのシドニーの沖合いで母艦の潜水艦を発進した日本海軍の特殊潜航艇3隻が、シドニー港に停泊中の連合軍艦船に対して行った攻撃である。
同時に行われたインド洋のマダガスカルの戦いと連動した攻撃で、連合国の主要国であったイギリス連邦間の通商破壊を目的とした。
特殊潜航艇のうち1隻はアメリカ海軍の重巡洋艦「シカゴ」を魚雷により攻撃したが、魚雷は目標をそれてオーストラリア海軍の宿泊艦「クッタブル(HMAS Kuttabul)」を沈没させ、その隣にいたオランダ海軍の潜水艦「K IX(K IX)」を撃破し、クッタブルの乗船者19人が死亡した。
特殊潜航艇はシドニー湾の南方40キロメートルの地点で母艦に回収される予定だったが、3隻とも帰還できなかった。