西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2013年9月30日月曜日
徳川将軍家と黒田家
古賀市の清滝寺に、葵の家紋がついた位牌がある。
八代将軍吉宗は、奇跡的な幸運でえらばれた将軍職を、自分の血筋に継がせたいと思った。
そこで田安家や一橋家をつくり、今までの御三家のほかに、将軍継承の権利をつくった。
三男が一橋家を継ぎ、その四男(吉宗の孫の一人)が、黒田家に襲封して7代藩主黒田治之となった。
彼が持参した父の位牌であり、西公園の松源院にあったものが、院は廃止された時に、同じ天台宗の古賀の清滝寺に移されたものである。
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