柳原家の女たち
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白連は大正天皇の従兄妹であり、伯母が明治天皇の側室になる時の記事も面白い。
当時、赤坂離宮には先帝孝明天皇の皇后、英照皇太后がお住居だつた。この大宮御所に皇太后附として上がるやうにと、御所から柳原家にお使ひが見えた。
お仕へする相手は女の方だし、大勢居る女の子のひとりくらゐは御所にあげなければ、御先祖代々の御関係もあることだし、と周りから言はれて白連の祖父柳原光愛もやつと承諾した。かくて、愛子十四歳にて、英照皇太后の御側に出ることになつた。
その頃、御所が火事で焼けたため、明治天皇両陛下はひとまづ英照皇太后の大宮御所に立ち退かれた。すると、帝は毎日のやうに、英照皇太后の居間にご機嫌伺ひとて成らせられた。
周囲では、至尊はたとへ御母堂とて御自ら御足を運ばせられるのは異例と思つてゐた。
そこで、皇太后自身、天皇の本当の思召が察しられたのか、天皇が皇太后に打ち明けられたのか、はつきりしないけれども、結局、天皇は皇太后から愛子をもらひうけることになつた。
焼け跡の御所の造営がなると、天皇は宮城にお帰りになり、愛子も供奉して、宮城内のお局部屋のひとつの主となつた。官名は早蕨典侍(さわらびのすけ)。
それをあとで知つた祖父光愛の怒りやうはなかつたと、家族一同の語り草となつた。曰く、「今時の若い者はしようがない」。その若い者といふのが、恐れ多くもかしこくも帝を指してゐる。
柳原家の女性は美人揃いだったらしい。
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