大河ドラマで謀殺された宇都宮鎮房。
四国への転封拒否にでたのが滅亡への契機となったというが、転封先といわれる伊予(大津城・大洲城)の宇都宮氏とはもともと姻戚関係もあり、この頃はすでに秀吉軍の戸田勝隆が城主であるから、その配下になることらしい。
戦国末期の伊予は長宗我部が統一したあと、秀吉により制圧されたとされている。
16世紀中期の伊予には5勢力が存在していた。
東から宇摩・新居郡の石井氏、中部10郡の守護河野氏、喜多郡の宇都宮氏、宇和郡の西園寺氏、中部瀬戸内海の来島氏と村上氏である。
総大将は河野氏で本拠地は松山城の北にあった湯月城。
水軍は来島城と能島城を拠点としていた。
これらを天正時代の17年間かけて秀吉は逐次制圧しており、やっと海賊禁止令の実施を実現している。
結局伊予の宇都宮も豊前の宇都宮も秀吉により滅亡させられた。
河野や宇都宮などの中世武士団をきらった秀吉の執念で、殆どの中世武士団がほろぼされ、豊後森に移った来島氏だけが江戸時代をいきのびた。
佐々成政の失政による失脚をみた黒田氏が、あわてて謀殺したのが真相だろう。
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