2015年12月24日木曜日

多々良川上流の遺跡(内橋カラヤ遺跡と多々良込田遺跡・戸原麦尾遺跡)

多々良川上流は、福岡市、糟屋町、久山町、篠栗町と行政区域が別れていて、遺跡の総合的な報告文書が少ない。
私が今までこの流域で興味をもって訪れた所は、東区の筑前名所図絵にある天神森古墳、東照寺と、曽我神社、部木八幡宮と古墳群などである。
多々良川上流の史跡
この年末に、さらに下流の糟屋町内橋地区(図の赤星印)に、内橋カラヤ遺跡が発掘された。


新聞解説記事
地図、年代、形状


 
内橋カラヤ遺跡詳細地図

この地区は昭和46~47年に、新幹線ルートの試掘調査で発掘された多々良込田遺跡の範囲で、弥生時代から平安時代にかけての集落跡や官公的施設の存在が明らかになった場所で、鴻臚館と同じ遺物が多数出土している。
多々良込田遺跡出土品
多々良込田遺跡
この近くには以前から戸原麦尾遺跡(王塚古墳)もあり、今回の古墳はその王の親族か後継者のものと考えられているようだ。
戸原麦尾遺跡
古賀市の歴史資料館の前の石井館長は、糟屋町の遺跡には詳しい方だったが、内橋については詳しい話を聞いた記憶がなく、この近くに従姉妹の家があるので、何度も出かけたことがあるのに、いままで知らなかったのは、うかつであった
古代ではこの付近まで入海だったようで、そこに橋がかかっていたため、地名となったようだ。
古代人の居住に適した場所だったのだろう。
二ヶ月後にでかけてみたら、もう道路改修工事のため、完全に掘り繰り返されていて、古墳は永遠に消えうせていた。
古墳跡の工事風景

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