西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2016年2月20日土曜日
外郎(ういろう)の起源
元が滅ぼされた当時の中国から、博多に亡命した
陳宗敬
の子、宗奇が
足利義満
の招請で
上洛
して、外郎薬を献上した際に、口直しに添えた菓子に由来するという。
いま外郎薬は透頂香とよばれている。
陳宗敬は中国時代の官職名が「外郎」で、これを日本名にしたという。
故に発祥の地は、外郎家初代宗敬の在住した
博多
、または、2代目宗奇が在住し、ういろうを初めて世に知らしめた
京都
となる。
小田原
をういろう発祥の地とする説もあるがこれは間違いで、ういろうの元祖を標榜する外郎家の末裔(小田原外郎家)が現在、小田原市に存在することから生じた誤解である。
小田原の外郎館
小田原外郎家の地図(江戸時代)
小田原の外郎家自身も、ういろう発祥の地を小田原としていない。
現在の小田原外郎家の当主
なお、宗敬が在住した妙楽寺(
福岡県
福岡市
)では、「ういろう伝来之地」の石碑が
1987年
(
昭和
62年)に建立されている。
しかし今では、宮崎県、山口市、徳島県、京都市、岐阜県、小田原市、中津市、などの名物となっていて、特に名古屋市の物が有名である。
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