西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2016年3月15日火曜日
太陽の塔〔大阪万博)
岡本太郎が大阪万博で太陽の塔を作った時代は、戦後復興の上り坂であった。
私も仕事がらみで2回でかけたが、まだ若かったので、当時は世界や日本の最新技術や、未来予測の方に関心があり、太郎の芸術性には殆ど関心がなかった。
その後イギリスのブレンハイム王宮で太陽神の彫刻をみて、太陽の塔を思い出したくらいである。
先週NHKの智恵泉で、岡本太郎の創作意欲と、完成までの経緯を詳しく紹介していた。
丹下設計の巨大な屋根に穴をあけさせて、その上まで観客をのぼらせるルートをつくり、なかには「生命の樹」のモニュメントを配置した。
彼の非凡な構想に賛否両論があったが、大阪万博成功の大きな牽引力となったという。
機会があったらもう一度ながめなおしてみたい。
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