徳島城と阿波おどり
徳島城は豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波1国18万6000石を賜り、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成した城。
以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎える。
城は明治維新後に破壊されて以前訪問したときは、御殿跡が徳島城博物館となっていたが、昨日のテレビでは昔の幻の天守が3DのCGで再現されているそうだ。
城下町はどこも城の復活に努力をしている。
今日のブラタモリでは、徳島の阿波踊りが盛んになった歴史を調べていた。
徳島市は吉野川の河口付近のデルタ―地帯にあり、川や橋が多い。
江戸時代には、武家屋敷の面積が広く、町人の街は狭かった。
藍が特産品で、藍商人が街の活性化のため盆踊りをはじめたが、広場がないので通路や橋の上を利用した行列踊りになったという。
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