2019年5月18日土曜日

皇居周辺の銅像

皇居周辺の銅像
皇居の東南(巽)の方向の皇居外苑の一角に楠公銅像があり、M30年に住友吉左衛門の寄付で造立された。
馬は後藤貞行・人物は高村光雲の合作である。

皇居の北東(丑寅)の方向の東京消防庁前を大手濠にそって西に100mの濠端に、和気清麻呂の銅像がある。
佐藤朝山のS15年の作である。
皇居の北西(乾)の方向の靖国神社境内に、大村益次郎の銅像があり、M21年大熊氏広の作である。
その近くに、大山巌の銅像もある。

近くの田安門の前の濠端の植込みのなかに、品川弥二郎(内務大臣)の銅像がある。

さらに皇居に近い北ノ丸公園の南部の、近代工芸美術館近くに、
北白川宮能久親王の銅像がある。

少し離れているが皇居の西南(未申)の方向の、麻布5丁目の有栖川宮公園には、有栖川宮織仁親王の銅像がある。

奈良時代から明治時代まで、天皇家を何らかの形で守ってきた人物たちである。

2019年5月8日水曜日

93歳の感想

   90代の高齢者の賀寿には、つぎのようなものがある。
 90 卒寿 「卒」の略字(卆)を九十と分解
 92 夆寿 「卆」に二を加える (私の提案)
 95 珍寿 「珍」の字を十二と八十三と分解
 97 酔寿  「卆」に(二と四)と一を加える(私の提案)
 99 白寿 「百」の字から一をとると白
   99   悴寿  「卆」に八と一を加える (私の提案)
100 百寿  そのまま、ももじゅ (別称:紀寿

私はこの5月9日に93歳を迎えるが、とくに賀寿は無いし、いろいろ考えてみたが、いい名称を思いつかない。字画数でなく、読みだけで、「組寿」はあまりめでたくもない文字だ。
人名で、九十三という姓は「つくみ」とよび、九十九の姓は「つくも」とよぶそうだが、年齢の漢字とは結びつかない。
結局、95歳まで「賀」はおあずけである。
5月は立夏の時で、春の青春、夏の赤夏の中間にあたる。青と赤をまぜれば紫色となり、藤の花の色だ。この時期に私と孫の一人が同じ日にうまれたのも、何かの縁であろう。

2019年5月4日土曜日

室生寺の六手如意輪観音像

室生寺の本堂と五重塔

本堂の六手如意輪観音像

室生寺の密教化が進んでいた鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)本堂が建立された。梁間5間のうち、手前2間を外陣、奥の3間を内陣とする。この堂は灌頂堂(かんじょうどう)とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である。
内陣中央の厨子には、上の写真の六手の如意輪観音坐像(重文)を安置し、その手前左右の壁には両界曼荼羅金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅)を向かい合わせに掛け、灌頂堂としての形式を保持している。
和辻哲郎は、昭和5年の随筆「六本の手の如意輪観音」で、その優美な姿をつぎのように絶賛している。
「作者はいかにしてこのような構図に成功したか。・・・
我々にとって人間の腕が常に二本であるように、作者にとってもまた人間の腕は二本であった。二本の腕の相互的な連関を離れて人体の腕はあり得ぬのである。作者は相連関する二本の腕を作った。ただそれを三度重ねたに過ぎぬ。」
梅原猛らの「仏像:心と形」では、類似の観心寺の六手如意輪観音像を紹介している。こちらは国宝で、原色日本美術全集にも掲載されている。
観心寺の如意輪観音像

弘法大師により輸入された新しい経典によった密教の仏像で、インド彫刻のような官能的な柔らかい肉身をもったものとした作風である。
和辻哲郎はここも訪問したが、住職不在のため拝観できなかったことを残念がっている。
籔内さんの「仏像拝観手引き」では、どちらも掲載されなかったのは残念だ。