「天安門事件と私の体験」
九州工業大学時代に、私の研究室に重慶の大学の助教授が、留学生として1年間滞在していました。(昭和63年:1988)
彼が帰国後、1989年に重慶の大学でのロボット工学の講義依頼の手紙がきました。
日本の夏休み中なら可能と返事をしていましたが、6月4日に天安門事件が発生し、当然講義は中止でした。
しかし9月頃になって、今年中に是非実施したいという要望が届き、12月に1ヶ月間実施しました。
当時は訪中する人も殆どなく、空港やホテルもガラガラで、どこも歓迎ムードでした。
重慶では、大学や工場などでも歓迎され、日本企業の生産方式を学びたいという意欲が感じられました。
だから、次の論評には、大きな違和感をおぼえます。
「中国における反日教育の犯人は『江沢民』 」
では中国反日教育は一体いつから始まったのか?
まず知っておくべきことは、中国歴史教科書の近代史に関しては完全にデタラメ、捏造です。
中国近代史は、中国共産党が大活躍して、現在の台湾『国民党軍』や『日本軍』を撃滅した、というものです。
このような、反日教育を中国は、1980年代『江沢民』政権以降に行われていました。
(1978年に鄧小平が、最高実力者になり、1979年と国交正常化。)
しかし、江沢民政権以前は、中国では反日教育は行われていませんでした。
むしろ中国建国の父と言われた『毛沢東』は
「日本の皇軍のお陰で国民党軍に勝てた」
と語ってた記録が残っています。
江沢民政権が反日教育を始めた理由は諸説ありますが、一番の要因は、何と言っても
「天安門事件」
です。
天安門事件とは、1989年4月中国学生らが北京の天安門広場に集結し、大規模な民主化要求へと発展。共産党指導部は学生運動を「動乱」と断じ、戒厳令を布告。
軍の部隊を投入し、武力で制圧した事件です。
中国当局は死者を319人と発表しましたが「少なくとも1万人以上」と言われています。
この天安門事件当時の中国指導者が江沢民でした。(?)
この事件の後、人民の不満を共産党からそらすために、過去の日中戦争の相手である、日本を悪者にして中国人民の目を日本に向けさせた政策を行ったのが、江沢民です。
(事件当時の最高指導者は鄧小平でした。苦渋の決断で学生を弾圧。
江沢民が総書記になるのは1989年、国家主席になるのは1993年。)
さて、中国の首都、北京で民主化を求めた学生らの活動が武力で鎮圧され大勢の死者が出た「天安門事件」から6月4日で今年は36年です。
その後の中国政府は徹底した言論統制を続けていて中国の若い世代では事件を知らない人も多くなっています。
私が事件の半年後に、重慶にでかけた時も、現地では殆ど知られていないようで、全く話題に出ませんでした。
大学には、学長の上に共産党幹部が在籍している体制なので、情報管理が厳しいからでしょう。
学生たちは、楽し気にクリスマスのダンスパーティをやっていました。
その後36年たっても、同じ状態なのでしょう。
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