小倉は松本清張の出身地であり、その小倉には森鴎外が居た鴎外屋敷跡があるので、清張が若いころから鴎外に関心を持っていたのは当然のことでしょう。
森鴎外 |
松本清張 |
桑原武夫の解説のよると、清張は当初菊池寛などからの影響で作品を書いていたが、歴史小説を書こうとした時に鴎外の文体を手本にしたことを清張自身が言っています。
旧鴎外全集を3冊所持して旅行していることも直接書かれており、清張のデビュー当時には全集を手に入れている可能性があります。
私は「或る小倉日記伝」を読んでいたとき、主人公の田上耕作は清張自身ではないかとの思いました。
また読んでいる感触が鴎外の小説みたいだと思いながら読んでいました。
「或る小倉日記伝」を読めばわかるように、かなり鴎外の足跡を研究したのではないか。特に日記は小倉時代も含めてかなり読み込んでいます。
清張の遺作「画像・森鴎外伝」の内容は、著者による森鷗外評伝であり、著者の鷗外に言及した作品としては最も分量の多いものとなりました。
鷗外の生涯および作品内容の知識は前提とされており、加えて鷗外をめぐる石川淳、唐木順三や高橋義孝などによる言説も吟味の対象とされています。
松本清張の作家人生が鴎外で始まり、遺作となった「両像・森鴎外」で終わったことに感慨を覚えます。
今月21日に、多胡吉郎氏による「鴎外の長男、森於菟」を紹介する講演会が、古賀市でひらかれます。
鴎外の遺品を守ってきた於菟による「水月ホテル鴎外荘」には、数回宿泊した記憶がありますが、清張との関連など話題になるか楽しみにしています。
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