昨日、元北九州市市長末吉興一氏の死亡ニュースが発表された。
九工大時代に私が主催した学会で、北九州市のPR講演を依頼したら、快くひきくれてくれた市長であった。
杉山茂丸 と 大島ホトリが結婚して、夢野久作が生まれるまでの流れと、夢野久作の想い。
林田春次郎は、明治8年11月11日、現在の田川市伊加利で生まれた。 地元の伊田尋常小学校(現鎮西小学校)を経て豊津中学校に入学したが、16歳の病気で退学し、自宅で療養生活をした。
病気平癒の後、農業に従事していたが、明治34年、26歳で伊田村々会議員に当選した。明治42年、34歳で伊田村長当選、明治45年田川郡会議員当選、大正3年伊田町制施行町長就任以後累任、大正5年県会議員当選、昭和3年県会議長 (昭和10年満期退任)、昭和18年田川市初代市長 (昭和21年、公職追放直前に辞職)。
村長・町長・市長として、長い間、地域の発展一筋に尽くした稀有の地方政治家である。
また、春次郎が常に先頭に立った三井との数々の折衝や具体的な施策(例えば、今日の東鷹高校の前身田川実業女学校の設立)などを追ってみると、一寒村から炭鉱開発に伴なう伊田町の発展の諸問題を克服しつつ、時に必要なら巨万の私費を惜しみなくつぎ込みながら乗り切っている。
田川の炭田地区の開発だけではなく、博多湾の香椎潟の埋め立て計画にも参加している。
デジタル赤字とは、海外のデジタル関連サービスへの支払い額が、受け取り額を上回る状態を示す。
2025年度では、6兆円だが、2035年度では45兆円と予想するレポートが出されている。
1)ネット広告取引やクラウド利用料など:18兆円
2)AIなど: 10兆円
3自動車ソフトなど: 17兆円
NTTどこものiモードなど国際レベルの技術開発もあったが、当時の経営トップが、自前主義で世界展開が進まなかった。
スイスの経営開発研究所がまとめた「世界デジタル競争力ランキング」では、日本は69ケ国中、30位、「デジタル技術スキル」は65位と、きわめて低い水準である。
デジタル分野はすぐれた能力を持った若者が、いきなり高い給料をもらう世界である。日本の年功序列、集団主義とはあわない。日本のソフト技術者は、ゲーム業界で働き、すぐれたソフトを開発してきた程度だ。
5年後、10年後に向けて、どのように産業界を改革し、日本の強みを発揮できるようにするかを議論する時期に来ていると思う。
ただし、99歳の私は全くデジタル技術分野のことは素人である。はじめてアメリカのシリコンバレーに行ったときは、マイクロソフトのビルゲイツが高校生で、ヒューレット・パッカードの会社にトランジスターをもらいに来たそうだ。社長はその熱意にほれて、夏休みに会社でのアルバイトに誘ったという話をきいた。
GAFAMなどの企業のない時代の人間だから、現在の若手技術者の活躍に期待するしかない。
直接対話できる若者は周辺にいないが、孫の二人がソフト企業にいるので、発破を掛けるくらいが、せめての現実行為である。