国家の中枢を動かした男は、戦後も足音ひとつで眠れない夜を重ねていた。
後藤文夫は、昭和初期の官僚機構を率い、農林大臣や内務大臣を歴任した。
農村復興や地方行政の整備を進め、「革新官僚」の中心人物として巨大な組織を動かした姿からは、恐怖に縛られた後半生など想像しにくい。
1936年2月、二・二六事件が起きた。反乱軍の青年将校たちは政府要人を襲い、後藤も命を狙われた。大臣として命令を下してきた彼が、この時ばかりは武器も護衛もない一人の人間として、暗い床下へ身を押し込むしかなかった。
頭上では軍靴が行き交い、兵士たちが部屋を捜索していた。床板を踏み鳴らす音が近づくたび、息を止めた。銃剣が床の隙間へ突き立てられる音まで聞こえたという。身体を少し動かせば見つかる。咳ひとつ漏らせば命が終わる。狭い闇の中で、後藤は兵士たちが立ち去るのを待ち続けた。
彼は間一髪で暗殺を免れた。だが、床下から出た後も恐怖は終わらなかった。
戦後になっても、逃げ道のない部屋では眠れなくなった。枕元には強力な懐中電灯と防空用のヘルメットを置き、物音がすれば身体を起こした。廊下から足音が聞こえるたび、軍靴が頭上を通った夜がよみがえった。
公の場では威厳を崩さず、行政を知り尽くした政治家として振る舞った後藤。けれど寝床に入れば、権力も肩書きも彼を守ってはくれなかった。暗い部屋の枕元で懐中電灯を握る手だけが、床下で息を殺した一夜を覚えていた。
終戦直前には、津屋崎の海岸地区の炭鉱主の別荘に、隠遁していました。

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