筑紫と天下人(改訂版)
筑紫の地から、倭国や日本の天下人とのつながりを眺めてみる。
古代:
神話や魏志倭人伝の中の天下人は筑紫の地から始まっている人物が多い。
天照大神、神功皇后と仲哀天皇、卑弥呼などなど。
日本史最初の大乱は、磐井の乱で、磐井の君と継体天皇の戦い。
奈良時代:
ヤマト朝廷の九州本部が大宰府に設置されてから、天下人やこれに準ずる人物が筑紫や大宰府までやってきたのをあげると、まず斉明天皇と中大兄王子の百済支援の出兵で、斉明天皇はこの地でなくなっている。聖徳太子の話もあるが、道後温泉までが確実らしい。
平安時代:
平清盛は大宰府の大弐になり、晩年には平家の本部を九州に置きたいと2回も足をはこんでいる。
源頼朝の意思で、範頼は九州まで源氏の軍をすすめ、義経は壇ノ浦まで軍をすすめて、平氏を全滅させ、安徳天皇を入水に追い込んでいる。
鎌倉時代:
元寇の国難に際に多くの武家、豪族が集結したが、北条時宗が筑紫まで出陣したという史実はないようだ。
室町時代:
足利尊氏は新田とあらそい、一時敗れて筑紫の立花城や多々良浜までのがれ、兵を立て直して京にのぼり、新田や楠木を破って室町幕府をつくる。
安土・桃山時代:
豊臣秀吉は島津軍の九州北上を鎮圧するために、博多まで出陣して、博多の街の再建をおこなった。
また朝鮮出兵の際には、多くの大名を従えて唐津の名護屋城に陣取り、総指揮をとった。
徳川家康もこのとき唐津まできているが、徳川幕府を開いてからはきていない。
江戸時代:
幕末の混乱期に、岩倉具視・三条実美らの五卿が大宰府にのがれてしばらく滞在した。
明治以降:昭和で広田弘毅、平成で麻生太郎が総理となる。
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