2015年6月8日月曜日

野村望東尼の遺跡

 福岡では勤皇の志士が少ない。そのなかで女性の野村望東尼は特異な存在で、福岡の独占と思っていた。
 しかし今回山口旅行をしてみると、望東尼は福岡以上の評価をうけていることがわかった。
 私が薫陶をうけた安川第五郎氏は、夫人が野村家の出なので、戦時中は野村家の歴史資料の保管に努力され、その三男定男氏(国文学者で、ピアニスト安川加寿子の夫)は、最近その資料の解明をされているそうだ。
 とりあえず、いままでに知っている遺跡を列挙してみよう。
福岡市赤坂三丁目には、生誕地の石碑がある。


1)平尾山荘
小学校時代の遠足で、福岡の「平尾山荘」にいったときの記憶は、山深い谷あいのなかの山小屋という印象だった。
 しかし数年前出かけたときには、かなり開けた住宅地の一角になっていた。














2)防府の桑山公園の墓と終焉の宅跡
  筑前の姫島から、高杉晋作らにより救い出された望東尼は、長州藩内で高杉や楫取らに保護され、最後は防府の桑山公園の近くの邸宅でなくなった。
 楫取素彦により桑山の中腹の福岡を望む場所に墓が作られた。楫取の菩提寺大楽寺がここにあるからだ。

 終焉の宅跡も、防府の大楽寺の近くにあり、記念碑や解説板などが設置されている。

3)防府天満宮の像
 さきの説明板にあるように、望東尼は防府天満宮で、七日間も王政復古を祈願したという。
 それで防府天満宮にも望東尼の像や顕彰碑がある。

   4) 姫島の牢獄跡
 ここには出かけたことがないが、写真だけ追加しておく。防府で望東尼の墓に案内してくれたボランチアの方は、平尾山荘や姫島に2回も訪れたといわれて、私も一度は出かけねばと思っている。
この牢獄での生活風景を、みずから描いたものがつぎの絵である。寒さをしのぐすさましい努力がしのばれる

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