しかし今回山口旅行をしてみると、望東尼は福岡以上の評価をうけていることがわかった。
私が薫陶をうけた安川第五郎氏は、夫人が野村家の出なので、戦時中は野村家の歴史資料の保管に努力され、その三男定男氏(国文学者で、ピアニスト安川加寿子の夫)は、最近その資料の解明をされているそうだ。
とりあえず、いままでに知っている遺跡を列挙してみよう。
福岡市赤坂三丁目には、生誕地の石碑がある。
1)平尾山荘
しかし数年前出かけたときには、かなり開けた住宅地の一角になっていた。
2)防府の桑山公園の墓と終焉の宅跡
筑前の姫島から、高杉晋作らにより救い出された望東尼は、長州藩内で高杉や楫取らに保護され、最後は防府の桑山公園の近くの邸宅でなくなった。
楫取素彦により桑山の中腹の福岡を望む場所に墓が作られた。楫取の菩提寺大楽寺がここにあるからだ。
終焉の宅跡も、防府の大楽寺の近くにあり、記念碑や解説板などが設置されている。
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