2018年12月26日水曜日

聖徳太子信仰と神仏習合


斑鳩宮(いかるがのみや)は、聖徳太子が現在の奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿

聖徳太子は、推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、推古天皇13年(605年)に移り住んだ。また、太子は斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍を建立した。
(当時の斑鳩伽藍は消失し、現在の法隆寺は蘇我氏滅亡後に再建されたとされている。当初の宮は現在の東院伽藍の場所に建っていたこと、また、厩戸皇子が建立したと伝えられる斑鳩寺は、西院伽藍の裏手の若草伽藍であり、金堂や塔が火災で焼失した痕跡が残っており、斑鳩宮と斑鳩寺(若草伽藍)は、方位がほぼ同じで同時期の造営である。また、西院伽藍の東大門や西大門に沿う築地も同方向であるので、斑鳩宮造営と同時に築造され、道路や水路を広範囲に敷設したと推測されている。)
聖徳太子は、蘇我・物部の仏教争いに参戦した若い頃は仏教に心酔していたが、斑鳩宮を造営した頃から、蘇我氏の急速な勢力拡大による仏教と神道の争いに疑問を抱き、立松和平氏によると、「神仏習合」の道を志向し始めていたという。俗説ではキリスト教にも関心を示していたという。
法隆寺が再建されたのは、聖徳太子の遺族が蘇我氏に滅ばされ、太子の遺徳や説教に感化されていた天智天皇が、大化改新のあと白村江の戦にやぶれて、朝廷の威光失墜を回復するために行ったという説がある。その後の聖徳太子信仰の広まりで、法隆寺の拡充だけでなく、各地に太子村ができている。
「神仏習合」の歴史書によると、8世紀から9世紀半に、神社と寺院が結合して、仏になろうと修行する神(菩薩)のための寺というかたちの神宮寺が、本来の神社の一隅または近隣地におかれるようになったという。
具体的には763年頃、伊勢国桑名の多度大神、常陸国鹿島大神、8世紀末に山城国加茂大神の例などが挙げられている。


10世紀なかばの平将門の乱のおこりは、一人の巫女が八幡大菩薩の使者と名乗って、「朕はみずからの位を将門に与える。この位記は菅原道真の霊魂が書いたものだ。」と託宣したことによる。


八幡大菩薩はもと宇佐地方の土着神で、奈良時代に国を外敵から護る神に高められ、平安時代に王城鎮護の神として石清水宮に勧請された神だが、菩薩とは悟りをひらく前の釈迦のことである。仏のなろうとする神で、ここに神仏習合の典型例があらわれている。
また菅原道真は、この事件の36年前に死亡して、観自在天神に転生したとされており、これは大日如来の化身である。古来の神祇信仰の神の霊魂が仏教の神として再生している。
反乱者平将門が即位の儀式を行ったときの宗教儀礼は、古来の神祇信仰と外来の仏教信仰の組み合わせで演じられたという。
その後、鎌倉、室町時代となると、上流貴族中心だった仏教信者は、中流武士階級から庶民階級までひろがり、その宗派も多様化しながら、江戸時代まで神仏習合はつづき、寺社奉行のもとで行政管理されてきた。
しかし明治維新で王政復古思想のいきすぎから、寺社分離が強制されたのは、歴史認識のあやまりであった。
敗戦後は、宗教の自由が復活されたが、寺社の実態はそのままであり、国民は両方に分かれて参拝しなければならない状態が続いている
ただ古く巨大な法隆寺などでは、寺の境内に金堂や五重塔などの仏閣を火災から守る鎮守の龍田神社があり、法隆寺の建立に当たって斑鳩の里が適地と告げた龍田神社の分霊だそうだ。



日本的仏教の元祖は、聖徳太子信仰と考えていいだろう。
https://wajikan.com/note/syotokutaisi/#i
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聖徳宗(しょうとくしゅう)は、日本の仏教宗派の一つであり、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺を総本山とする。小本山に法起寺法輪寺門跡寺院中宮寺など末寺は、29ヵ寺。
昭和25年(1950年)に、法相宗からの独立を果たす(宗教法人として認可されたのは、昭和27年(1952年))。聖徳太子を宗祖とする。所依の経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏」である。
聖徳太子が制定したとされる「十七条憲法」の第一条の冒頭。
 「和を以て貴しとし、忤(サカフル)ことは無いように。人には皆、党(タムラ)があり、悟っているものは少ない。よって君父(キミカゾ)に従わない。また、隣の里とも違うだろう。しかし、上と和し、下と睦まじくして、事を論じて話し合って、諧(カナウ)するなら、物事は自然と上手くいき、なんでも成せるだろう。」
 少し意訳になるが、「人は、それぞれ所属するところがあるし、生きている場所によっても色々異なっており、その範疇のことしか考えない傾向があるが、異なるものに対して無闇に反発するのではなく、それを調和させることが最高に素晴らしいものだと悟るべきだ。上も下も分け隔てることなく本質にそって対話を行い、その結果として調和に導くことができれば、物事は自然と上手くいき、何事も成就していく。」ということが、述べられている。


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