長崎に落ちた原爆を運んだB29は、サイパン島から飛んできたと思っていた。
しかし原爆用にB29は、サイパンの近くの、テニアン島は基地であった。
広島の原爆も、長崎の原爆の、おなじテニアン基地から運ばれていた。
両方とも同じ時間帯に基地を出発し、広島と小倉に向けて飛行したと思われていた。
しかしながら、小倉の時は日本の硫黄島あたりに台風の目があり、3機がこの上空で落ち合うことが危険なため、屋久島の上空で落ち合うことになった。
飛距離が長いため、最初の気象観測機の姿を後続の2機は見失って、電波通信だけで小倉の気象状況を判断し、小倉に原爆を落とせると判断して小倉にむかった。
しかし小倉は前日の八幡空爆の消煙などが小倉に流れてきて、通常の雲以上に視界が悪くなっていた。40分くらい目標の小倉工兵廠をさがしたがみつからず、高射砲や戦闘機の攻撃も始まったので、あきらめて長崎の目標に変更した。
北九州地区高射砲10門で応戦 |
ゼロ戦10機で応戦 |
長崎への原爆投下後は、燃料不足のため、沖縄基地に着陸し、燃料補給をした。1泊をすすめられたが、しばらく休憩してその日の深夜にテニアン島に帰還した。
長崎被爆あと |
長崎被爆前 |
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