2025年6月27日金曜日

アメリカの新兵器


 



イランの地下60mにある核製造施設を破壊するために使用された新兵器「バンカーバスター」。

広島、長崎の原爆と対等の成果をあげたと、トランプ大統領は声明した。

石破総理は、「むにゃむにゃ」と評価を先送りした。

世界政治力の格差!

「日米戦争、いわゆる太平洋戦争は、日本海軍のハワイ攻撃から始まったのではありません。5ヶ月前、アメリカが無通告でパナマ運河を封鎖したときから、始まっています。機密文書も公開されていますが、日本への戦争開始の文書に従って、運河の封鎖をしています。

戦争は、武力衝突で、戦争開始ではありません。日露戦争後、着々と、アメリカは日本侵略計画を進めていました。日本の教科書は書き換えた方が良いと思います。そうしなければ、トランプ大統領のように、広島、長崎への原爆投下は「正義」の戦争と言い続けます。」

この論評でいえば、日中戦争はもう始まっています。

2025年6月25日水曜日

線状降水帯の計測法(改訂版)

 梅雨時に洪水被害をもたらす線状降水帯は、その発生期間が短く、気象庁がその予測に苦労している。


線状降水帯は、海上で発生した大気の川が、上陸するところに発生する。

大気の川は半日か、一日で発生するので、その中の気温、湿度、気圧、風向き、風速などの計測は、船舶では困難で、航空機をとばして、ドロップ・ゾンデで計測する。

ドロップゾンデの投下状況

落下するゾンデ



ゾンデの計測電波


電波データの受信状況

さらに精度をあげるための手法が、いろいろ検討されている。



2025年6月14日土曜日

いしぐろ かずお ノーベル文学賞作家 の 映画 「遠いやまなみの光」


 

沢山の文学作品を出版し、国際的作家となる。


かずおは1954年長崎生まれ。
父の石黒鎮雄は1920年4月20日に上海で生まれ、北九州の明治専門学校(現在の九州工業大学)電気工学科で学んでいた。
長崎海洋気象台では
副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた。鎮雄が作曲した『長崎海洋気象台の歌』は『長埼海洋気象台100年のあゆみ』に楽譜が記載されている
1950年代末以降には,英国に招かれて,電子回路モデルを用いた潮位の解析装置を大規模なアナログコンピュータに発展させ,北海の高潮予測を可能にした。
1958年エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文東京大学より理学博士号を授与された海洋学者である。
2007年に87歳で亡くなる。
母の静子は長崎原爆投下時10代後半で爆風によって負傷した

母は長崎原爆当時の記憶を幼いかずおに話していた。
かずおはその記憶をもとに小説を書いたのは、原爆投下から35年のころ。
「A  PALE  VIEW  OF  HILLS」



がずおの小説を映画化することが、日英の若い映画監督により、実現された。「遠いやまなみの光」という映画である。
日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。

「悦子は日本人の夫・二郎と別れ、イギリス人の夫と再婚する。悦子は、前夫との娘・景子とともにイギリスに渡り、イギリス人の夫との間にはニキという娘をもうける。 ロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。
ニキが悦子を訪ねて来たところで、悦子は日本にいたころ、すなわち終戦後の長崎で前の夫と暮らしていたころを思い出し、回想が始まる。・・・・」

この物語は戦後直後の長崎を回想の舞台にしている。だから物語には始終原爆が暗い影を落とすが、「訳者あとがき」にもあるように、物語自体は必ずしも原爆がテーマというわけではない。もちろん原爆を軸にするとこの小説は別の読み方もできるだろう。

映画の製作が完成し、いしぐろ かずお が長崎を訪れたとき、この映画の意義を、つぎのように表現している。


長崎原爆投下以後80年がすぎ、長い平和がつづき、おおくの若者は、平和は自然で永続的なものと思い込んでいる。

原爆の記憶の伝え方も現在の世代にあわせて考える必要があり、この映画も新しい形態だ。


幸福の心理をつくるホルモン:オキトシン

 人間の脳の働きの研究は、まだ未知の分野が多い。

情報の伝達は電気信号的なものと思われているが、感情などの発生はホルモンの作用だろうと推定されてきた。

慶応義塾大学の塗谷準教授は、そのホルモンの動きの可視化に、世界ではじめて成功された。

       



可視化に成功したのは、自作の顕微鏡による成果で、若い頃工学を学んだ知識を活用したからであった。


オキシトシンは古くから知られていたホルモンで、生物が生きるための本能的感情をあらわすものと思われていた。

しかし人間は社会を作り、その中に溶け込んで、強い絆をむすびつけることで幸福感をもつように進化している。


それは人間のオキシトシンの流れの状態が、脳幹から大脳への流れであることから判明できた。


オキトシンのほかに、ドーパミン、クルアドレナミン、セロトミンなどのホルモンがあり、それぞれ感情の変化があるようだ。

2025年6月4日水曜日

森鴎外と松本清張

小倉は松本清張の出身地であり、その小倉には森鴎外が居た鴎外屋敷跡があるので、清張が若いころから鴎外に関心を持っていたのは当然のことでしょう。

森鴎外

松本清張

桑原武夫の解説のよると、清張は当初菊池寛などからの影響で作品を書いていたが、歴史小説を書こうとした時に鴎外の文体を手本にしたことを清張自身が言っています。

旧鴎外全集を3冊所持して旅行していることも直接書かれており、清張のデビュー当時には全集を手に入れている可能性があります。


私は「或る小倉日記伝」を読んでいたとき、主人公の田上耕作は清張自身ではないかとの思いました。

また読んでいる感触が鴎外の小説みたいだと思いながら読んでいました。

「或る小倉日記伝」を読めばわかるように、かなり鴎外の足跡を研究したのではないか。特に日記は小倉時代も含めてかなり読み込んでいます。


清張の遺作「画像・森鴎外伝」の内容は、著者による森鷗外評伝であり、著者の鷗外に言及した作品としては最も分量の多いものとなりました。

鷗外の生涯および作品内容の知識は前提とされており、加えて鷗外をめぐる石川淳唐木順三高橋義孝などによる言説も吟味の対象とされています。

 松本清張の作家人生が鴎外で始まり、遺作となった「両像・森鴎外」で終わったことに感慨を覚えます。

今月21日に、多胡吉郎氏による「鴎外の長男、森於菟」を紹介する講演会が、古賀市でひらかれます。



鴎外の遺品を守ってきた於菟による「水月ホテル鴎外荘」には、数回宿泊した記憶がありますが、清張との関連など話題になるか楽しみにしています。


2025年6月3日火曜日

老化をとめ若返る方法

 


老化予防の食品は経験的にしられている。


最近の研究で推奨されている方法


オートファジーの研究でも解明された食品






幹細胞の注射は新医学になりそう。





2025年6月2日月曜日

棟方志功と小林正一

 

棟方志功展示室 小林コレクションを中心に


棟方志功は多くの文人との交友がありました。

歌人の小林正一氏もそのひとり。その交友は、1959年頃、小林氏が日本経済新聞の歌壇欄に棟方作品を詠んだ歌「志功描く 女の顔はいとあやし 遊女とも見ゆ 菩薩とも見ゆ」を投稿したところから始まります。


この歌が第一位に選ばれたことがきっかけとなり、小林氏は荻窪の棟方の自宅を訪ね、交友が始まりました。
このときの選者は吉井勇。やはり棟方と交友があった歌人で、今回、吉井の歌に棟方が板画を彫った「流離抄」も展示されています。

吉井勇の歌


棟方と小林は意気投合し、1962年年頃からさらにその交際は深まっていきます。
小林は詠んだ歌を棟方に送り、棟方が気に入ったものを気の向くままに板画とし、20点をまとめて《山懐頌》としました。

  • 小林正一歌集『板華頌』(はんげしょう)、志功画、私家版(非売品)1971年

このほかにも小林は数多くの棟方作品を収集していますが、板画だけでなく、棟方に依頼して描いてもらったという肉筆画はとりわけ優れたものです。

小林氏は長野県野沢温泉村の出身で、1973年には棟方の信州スケッチ旅行の案内もしています。
今回は、今年度から寄託いただいている小林コレクションを中心に、青森県庁舎が落成した際に制作された「花矢の柵」など代表作を展示します。

花矢の柵

このほかにも小林は数多くの棟方作品を収集していましたが、板画だけでなく、棟方に依頼して描いてもらったという肉筆画はとりわけ優れたものがあります。


今年の6月安川カレンダー