2022年5月12日木曜日

新田義貞の稲村ケ崎突破作戦

 元弘3年(1333年)、新田義貞は挙兵からわずか2週間で鎌倉を包囲します。部隊を3つにわけて総攻撃を敢行しますが、天然の要害に守られた鎌倉の守備は堅く、化粧坂切通し、極楽寺坂切通し、巨副呂坂切通しの3方からの攻撃はいずれも撃退されてしまいます。

元弘3年(1333年)5月21日、軍勢を立て直した新田義貞は稲村ケ崎を突破し、鎌倉へとなだれ込みました。



挟み撃ちにされた幕府軍は壊滅し、執権北条高時ら北条一族と残党は東勝寺にて自害します。

伝説によると、義貞が太刀を海に投じると龍神がこれに応じ、大きく潮が引いていき幕府の水軍も沖へと流され、義貞軍は浜を渡って鎌倉へと進軍したとされています。

現代の研究では、元弘3年(1333年)5月21日の未明は干潮であったことがわかっていますが、普通の気象であれば通路ができるほど潮がひくことはありません。


ただし、当日強い北西の風が吹いておれば、地球の自転作用によるエクマン輸送という海流移動力が南むきに発生して、幕府軍の船は沖にながされ、海岸に陸路が出来た可能性はあります。


エクマン輸送エクマンゆそう、英: Ekman transport)とは、海上で風(ここでは何日も同じ方向に吹き続けるような気流のこと)が吹いた時に、コリオリの力により、北半球では風の流れに対して直角右向きに海水が移動する現象のことです。

西方浄土筑紫嶋: 地球の自転によるコリオリの力 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)

地球の自転作用によるコリオの力は、大気にも働いていて、フェレル循環を起こしています。


この伝説には様々な意見があるようですが、いずれにしてもこの新田義貞はこの気象現象を利用して稲村ケ崎を突破して鎌倉へと進入し、鎌倉幕府を倒したのです。




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