2025年11月5日水曜日

香椎浜線の歴史

 香椎浜線道路の幅はなぜこんなに広いのか?疑問をもつ人も多いでしょう。

左右に自動車道路があり、中央に芝生を植えた並木道路があります。




この地区は、埋め立て前は香椎潟の海中でした。そして衣川が流れこんでいました。



埋め立て計画では初期の場所で、東邦電力が石炭の燃えた滓を利用した埋め立てを実行した範囲で、香椎浜線の南までうめたて、そこに道路をつけました。その道路のよこには、衣川の水が流れていました。



さらに埋め立て範囲を広げる計画の時、衣川の水路を暗渠にして、上に芝生を植えた並木道にしました。



だたし、3号線より上流部分は水量も少ないので、道路のしたの水路となりました。



3号線のバイパスができるとき、衣川はさらに道路の下に埋められ、地上では多々良中西交差点の近くの、一心寺の裏庭の地点からみることができます。




多々良中西交差点の暗渠カバー


2025年10月29日水曜日

水害防止設備

 新宮町では、豪雨のためアクア新宮の浄化施設が水没し、応急的な復旧事業に4億3700万円かかり、長期にわたる完全機能回復までには、概算総額は約45億円の巨額の見通しという。


新宮町は山地から海まで、細長い地形であり、江戸期築造の3本の天井川が、沖田地区の牟田川に集まる。町の主流湊川にくらべると、市販の街図には名前も記入されていない程度の川である。


高い位置の天井川から想定外の短時間大量降雨で低い位置の浄化処理施設に一気に流れ込んだのであろう。水だけでなく、流木や浮遊物なども流入するので、その防御装置がなかったのだろうか?


私は千早地区の衣川の地下道化工事を調べてみていた。衣川も名前を忘れられた側溝に近い小さな川である。





当初は地下への流入口には、何も防御装置がなかったが、国道3号線バイパスが出来るときには、下図のような流木や浮遊物を防止する頑丈な金属防止網が設置されている。


河幅は同じ程度だから、この装置を設置しておけば、被害は少なくてすんだのではないかと思うのだが、素人の推測にすぎないだろうか。

2025年10月28日火曜日

箱崎の家

 箱崎で私が育った家(妹の葬式の時の写真)



最近まで、3号線の店舗として存在していました。


現在は、隣にあったGCR(グローバル クリエイタ-アカデミー)の教育施設の新館に変わりました。




2025年10月23日木曜日

 「歴代総理大臣の出身地」 

一位「山口県(八名)」
二位「東京都(五名)」
三位、四位、五位
「広島、群馬、岩手(四名)」 
六位、七位、八位、九位
「鹿児島、岡山、京都、石川(三名)」
・・・・・
何と奈良県は初めてで、それも女性は憲政史上初めて.




2025年10月14日火曜日

箱崎の歴史研究者



 箱崎生まれ、箱崎育ちの歴史研究者二人の著書を紹介する。

古田鷹治


 

 昭和2年生まれ 昭和15 年箱崎小学校卒業  昭和19年 松山海軍航空隊入隊

 昭和20年 復員 九大農学部農学科事務員勤務  25年文部教官助手  

 平成2年 文部教官講師  平成3年退官  平成17年博多仁和加振興会7代会長

 箱崎町一光寺総代 平成20年永眠 80歳


山崎泰輔










明治36年生まれ。 大正7年箱崎小卒業。 大正13年野戦重砲兵隊第五聯隊現役入隊

昭和12年 志那事変応召 昭和21年 箱崎漁業組合理事 

昭和49年箱崎町長性寺総代 昭和54年箱崎宮祭典委員

2025年10月9日木曜日

博多・箱崎と豊臣秀吉

 博多・箱崎と豊臣秀吉

 福岡ボートの対岸に「舟入場跡の石碑」がひっそりとあります。



 戦国時代に九州平定をした豊臣秀吉は、箱崎から船を出して博多湾を周回しながら、焦土となった博多の再建策を練って、この場所から博多に入ったそうです。
 博多と豊臣秀吉は、他にも朝鮮出兵の際に米蔵を置いた事から「蔵本」と呼ばれる場所があります。また伴天連追放令を出したのは「筥崎宮」でです。他にも「太閤水」と呼ばれる豊臣秀吉が水を飲んだ場所も随所あります。