2023年1月30日月曜日

酒井忠次と長篠の戦


酒井忠次は三河の武士で、徳川四天王の筆頭といわれている。

家康より年長で、東三河の旗頭として活躍していた。一向一揆の時も、酒井家のなかでただひとり一揆側に参加せず、家康側で活躍した。

この頃は井伊直政はまだ幼少の時代であった。四天王といわれる井伊、本田、榊原、酒井は、江戸幕府成立時代である。


彼が頭角を現したのは、長篠の戦である。

長篠の戦は、よく信長の鉄砲戦術が成功したといわれるが、長篠城を取り囲んでいたいた武田軍を、宵闇にかくれて背後から攻めることを提案して実行した酒井忠勝の作戦により、武田軍を設楽原に誘きよせたから,鉄砲戦が効果をあげたのである。


その後の活躍で、四天王の筆頭と評価され、秀吉からは、東の酒井忠次、西の立花宗茂と評価されたが、家康からは、四天王のうちで最低の1万石の領地をもらっただけである。

長男、松平信康の切腹事件の責任者としての評価が最後までひびいたらしい。

2023年1月23日月曜日

徳川家康は寅と兎

 

国宝 久能山東照宮 

強気なトラと弱気なウサギを行ったり来たりの徳川家康公です。

久能山東照宮には寅と兎の彫刻があり、トラとウサギと、行ったり来たり出来ます。






2023年1月22日日曜日

神社と動物

神使と動物神の概要

神の使者と考えられている特定の鳥獣虫魚のことを神使(シンシ)と言います。

(虫もいます。仏教由来の毘沙門天系神社の神使はムカデ!)。

神々によって眷属となる対象種は変わってきます。時代が下り、各神社の祭神と縁故関係をもつ特別な存在として灯篭や社殿に彫刻、または境内で飼育しているところなどもあります。

神使のみならず、動物自身が神として祀られることもあります。神々は大別すると自然神(自然現象を神格化した神)と文化神(生活にかかわる神)に分類されます。

前者の自然神はさらに天体や気象に関係する上界の神々と、地形や地上での自然現象に関係する地上の神々に分かれます。この地上の神々の中に動植物の神格化が属します。

 代表的な動物達

1.キツネ

最も有名なのは「お稲荷さん」でおなじみキツネではないでしょうか。京都府にある伏見稲荷神社が稲荷系の総本宮とされています。農耕神である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を中心に数柱の祭神を祀っています(キツネ自体を祀る神社もあります)。「稲成り」「稲生り」等が語源とされ、稲の信仰の対象として信仰されてきました。時代の移りから商売繁盛へと拡張し屋敷神として祀る文化もあります。また稲荷を祀るのはキツネが食べるネズミに似せたとの話もあります。

2.ウマ

ウマは神霊の乗り物として神聖視されることがあり、古代では祈願のため神社に馬を奉納していました。生馬を奉納できないと、神馬を模った木などを奉納し、これが後に絵馬へと変化したとされています。

3.シカ

シカは武神や雷神とされる建御雷神(タケミカズチノカミ)がまたがって移動したり、手紙を届けてもらったり、仲良し?な関係でした。そのため、春日大社や鹿島神宮では神の使いとされています。

5.サル

現在も多くのサル達が生息する比叡山。その麓に鎮座する日吉大社の神使はサルです。神猿(マサル)と言って「魔が去る」「勝る」に通じ縁起がよいとされています。ちなみに「サル」のあだ名で知られる豊臣秀吉は縁を感じたのか、日吉大社を厚く信仰していたようです。

6.オオカミ

オオカミを神格化した神を真神(マガミ)と呼び、シカやイノシシから作物を守る神とされました。その中でも大口真神(オオグチノマガミ)は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の道案内を務めたと言われています。

7.カラス

道案内と言えば神武東征(初代天皇が日本を制圧する旅)にて神武天皇を案内したとされる八咫烏(ヤタガラス)がいます。また八咫烏は鴨建角身命(カモタケツミノミコト)の化身とされることもあり、諸説あります。

記紀による違い

つらつらとご紹介した動物達ですが、これらの他にも話がありますし、全く違う話もあります。それは神道の根幹となる歴史書が2種類存在するためです。

それが古事記と日本書紀です。天武天皇の勅命により双方は産し、あわせて記紀(キキ)と呼ばれます。双方ともに同じ歴史書であり大まかな流れは同様ですが、内容が異なる点も多いため一部を紹介しました。

 

鼠(ねずみ)大黒天
牛(うし)天満宮
虎(とら)朝護孫子寺
蜂(はち)二荒山神社
兎(うさぎ)住吉大社・岡崎神社・調神社
亀(かめ)松尾大社
蟹(かに)金刀比羅宮
鰻(うなぎ)三嶋大社
蛇(へび)弁才天・大神神社
海蛇(うみへび)出雲大社
白蛇(しろへび)諏訪神社
狐(きつね)稲荷神社
鹿(しか)春日大社・鹿島神宮
猿(さる)日吉大社・浅間神社
烏(からす)熊野三山・厳島神社
鶴(つる)諏訪大社
鳩(はと)八幡宮
鷺(さぎ)氣比神宮
鶏(にわとり)伊勢神宮・熱田神宮・石上神宮
狼(おおかみ)武蔵御嶽神社・三峰神社など奥多摩・秩父地方の神社
鯉(こい)大前神社
猪(いのしし)護王神社・和気神社
百足(むかで)毘沙門天

2023年1月21日土曜日

中野正剛 没 80年 (政治家、歴史家、評論家)

 『アジア主義者中野正剛』中野泰雄著、亜紀書房

・停滞するアジア主義研究の再開は中野正剛から 浦辺登 評
 すでに中野正剛についての伝記はいくつかある。中野の盟友と呼ばれる緒方竹虎の『人間中野正剛』、日下藤吾の『獅子の道・中野正剛』などだ。これらの著作によって中野の評伝は完結したかにある。
しかし、本書は中野の四男であり亜細亜大学教授(当時)の中野泰雄の手によるもので、昭和63年(1988)に刊行された。直系だけに、中野正剛を神格化した内容に満ちているのではと訝る。
しかしながら、さにあらず。中野正剛の情勢の見込みの甘さ、弱点を指摘する。ある時には、斬り捨てる。これは、著者が別人格として中野正剛の評価を試みていることの証だが、爽快さすら憶える。このことは、逆に読者の信頼を大いに増している。
 
世間一般は中野正剛を政治家として見る向きが多い。しかし、著者は正剛を歴史家として見るべきではと示す。この点は、実に合点がいく。新聞記者、衆議院議員という履歴から中野を言論人、政治家と見るのが通例。それだけに、これは新たな蒙を啓かれた。
全8章、260ページで構成される内容は、中野正剛の紹介もさることながら、『日本及び日本人』『東方時論』『東大陸』などに寄稿した政治評論家・中野正剛の筆を介して、時代の変遷、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)突入前の日本が置かれた環境が如実に浮かび上がる。

中野が評論を通じて、何を日本社会に訴えてきたかが明確。
 
中野正剛は韓国の独立、中国の統一、民族自決というアジア主義者としての考えを打ち出した。これは玄洋社の総帥・頭山満の考えと重なる。頭山、および玄洋社には思想が無いと斬り捨てた研究者がいるが、これは知識不足から生じた弁である。
 
また、著者「あとがき」には、アジア主義研究者の竹内好の論にも及ぶ。竹内によって中野正剛が「玄洋社直系の右翼」と短絡されていることに著者は反発を示す。

いまだ竹内の著作から引用し、アジア主義を論じる方がいる。この竹内を引き合いに出すことが、いかに浅い論であることに気づかなければならない。このことは、竹内好が監修した評論において、明らかな誤りが散見される著作が放り出されていることからもわかる。

アジア主義と大東亜共栄圏を同列と理解し論ずる評者が存在するのも、見直し改訂が行われてこなかったからだ。情けない限りだが、ここに日本の出版界の限界を見る思いだった。256ページに著者の痛烈な批判の言葉が並んでいるのを参照されたい。

 東條英機首相に抗議して自決した人が中野正剛であるとの評価で締めくくるには、もったいない。停滞するアジア主義研究の再開は中野正剛から。つくづく、そう思う一書だった。


中野正剛の「静観」の書。
いつの時代のものかは不明。
外に発信するばかりの中野正剛ではなく、自身の内省も試みていたということなのか。

没後80年のテレビでは、政治家 中野正剛の東条英機との対決ばかりが強調されていた。









2023年1月20日金曜日

まくら言葉(枕詞):掛け言葉(掛詞)

 足引(あしび)きの 山鳥(やまどり)の尾(お)の しだり尾(お)の

ながながし夜(よ)を ひとりかもねむ(ん)

「夜は雌雄が離れて寝るという山鳥の、長い尾のように、
長い秋の夜を恋しいあの人と離れてたった一人で寝るのは寂しいなあ」という意味。
一人寝の寂しさが、秋の夜をより長く感じさせるのでしょう。
「の」を続けることで、「長さ」を強調しています。

前半の言葉は、「長さ」にたいするまくら言葉といわれます。


おもな枕詞には,以下のようなものがあります。覚えておきましょう。

「あしびきの」(山・峰)  「あをによし」(奈良)  
「くさまくら」(旅)     「しろたへの」(衣・袖[そで])  
「たらちねの」(母)   「ちはやぶる」(神)
「ひさかたの」(光・天)  「ぬばたまの」(夜・黒)


五月雨を 降り残してや 光堂

(読み方:さみだれを ふりのこしてや ひかりどう)

「何もかもを朽ちさせてしまう五月雨も、この光堂だけは降らなかったのだろうか、金色の堂宇が光り輝いていることよ。」

ふりは、五月雨が降ることの意味と、金色堂がふるびずに光輝いているの意味をかねており、掛け言葉といわれます。

一つ言葉同時に二つの意味もたせる修辞法で、和歌の例では

「立ち別れいなばの山の峰におふるまつとし聞かば今帰り来(こ)む」〈古今離別〉の歌

「いなば」に「立ち別れ往(い)なば」と「因幡(いなば)の山」の意味が、

また「まつ」に「」と「待つ」の意味含まれている例です。

和歌謡曲浄瑠璃などでも多くみられます。

2023年1月19日木曜日

亀山上皇と箱崎宮

 今からおよそ750年前に、博多の町は蒙古襲来により二度戦火にみまわれ、筥崎宮もご社殿を焼失しました。

この元軍の来襲の際に、第90代天皇の亀山上皇が「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮や箱崎宮などに敵国の降伏を祈願されたの際の「敵国降伏」のご宸筆が、箱崎宮の楼門に奉納されており、この亀山上皇の故事を記念し、福岡県の地元有志の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)に、元寇に緑のあるこの福岡県庁前の東公園の地に亀山上皇の銅像が建立されました。







高さ約6メ一トルを誇るこの銅像の原型となった木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲(やまさきちょううん)の代表作のひとつで、そのまま保存されていたものが、最近、筥崎宮の楼門向かって右側の奉安殿に安置されています。

奉安殿という名称は、私が小学生のころは、校門をはいるとすぐそばに教育勅語をいれた奉安殿があり、そこで最敬礼をしてから教室のある校舎のほうに進んでいったので、なつかしい響きです。
今日は地元の駅前区シニアメンバー14名で箱崎宮に参拝し、ゆっくり亀山上皇尊像を拝んできました。









2023年1月18日水曜日

腎臓の働き

 「肝腎要(かんじんかなめ)」という言葉があります。この語源は「肝臓」と「腎臓」がとても大切な臓器であることに由来すると言われています。それほど大切な臓器ですが、その働きが一般的にあまり知られていないようです。

腎臓には血液をろ過して、体の中に溜まった老廃物や水分、取り過ぎた塩分などを尿と一緒に体の外へ出してくれる働きがあります。 腎臓はいらなくなった余分なものを体から追い出して、必要なものだけをしっかり体の中に残してくれるので、体の中の環境を正常に保つことができるのです。これが通常いわれている腎臓の働きです。

しかし専門家の説明によると、動物の進化の過程で、腎臓の働きは大きく変化してきたことがわかってきたようです。昨日のHUMANIENCEで報道されました。

太古の動物は海中で生息していたが、次第に淡水のなかで生息するようなり、さらに陸上に上がって生息するようになりました。


海中では水分も塩分も沢山あるので、魚類の腎臓は簡単な組織で、余分な水や塩を捨てるだけですみました。

淡水になると水分は豊富ですが、塩分が不足するので、捨てる水分の中の塩分を取り戻す働きが必要になりました。

陸上にすむようになった動物は、水分も塩分も不足するので、血液を濾過したあとの液体から、必要な水分と塩分などをとりもどす作用の組織ができました。

魚類にくらべて、人間などの腎臓の組織が複雑で、精密なのはそのためです。

腎臓は血液中の老廃物や取りすぎた水分・塩分を尿として外に出すといわれてきましたが、不足した水分・塩分をとりもどしていることが、最近の研究で明白になってきました。

1日に腎臓を通過する水分は150リットルですが、尿として排出する量は1.5リットルにすぎません。148.5リットルは回収しているのです。



私のように高齢者になると、その機能が低下してくるので、食事以外でも水分をたくさんとるによういわれ、これを実行した結果は、GFRの数値が少し改善されました。

水分や塩分以外にも、内臓各部に必要な各種の成分の管理を行い、健康に生存するための化学作用などにも腎臓の働きが関係していることが解ってきました。



腎臓の構造:


腎臓内の細胞の種類は30種類以上あるといわれ、複雑で繊細な構造です。
主要部は糸球体と尿細管で、その対をネフロンとよびます。






ネフロンは胎児のときにつくられ、その後の再生がないので、腎臓は再生能力がない臓器です。

尿細管部分の動脈と静脈の毛細管が密着して絡まっている状態が観察されています。



その尿細管の断面図は微小なポンプの集合体です。


尿細管の断面図

拡大した微絨毛の図

このような組織のポンプにより、血液中の必要な回収成分と、尿として排出する成分が分離されます。

尿の濃度をコントロールする部分

集合管の部分は人類独特の部分




その他、腎臓は他のあらゆる臓器と密接な関係をもっています。

NHKの人体特別版:「腎臓が寿命をきめる」で詳しく紹介されました。