2012年2月29日水曜日

安曇族

安曇族に関連する番組がRKBラジオで放送されている。塩の道から空の道という60周年記念番組で、日曜の夕方のシリーズ番組だ。
そのディレクターの津川さんが古賀の玄界塾で講演をされた。
信州の安曇からみた九州の安曇族との関係をさぐる番組で、九州の磐井君との関係がかなり深いことがいろいろ立証されそうだ。

安曇族のイメージとしては海の民であり、本来は磐井君の配下で玄海を制覇していた。 造船技術、操船技術、製塩技術、砂鉄精錬などが得意なうえに、海外との交易がうまく、日本側の輸出品としては塩やヒスイをとりあげ、韓国側の鉄鋼石や鉄製品を輸入していた。

磐井の乱の敗戦で九州を追われ、ヒスイのルートを経て信州に定住した。信州での安曇の名前は650年頃の大和の文献ではじめてみられるという。
九州と関連する地名、仏像、伝説、食べ物など沢山の事例がでてきた。
詳細はRKBラジオのHPである程度よみとれる。

応仁の乱

テレビで応仁の乱の番組をやっていた。
内容は京都中心の事件のみで、話は九州まで届かなかった。
しかし博多を支配していた大内氏が京都での幕府支援に兵力を投入したため、留守となった博多に大友氏が侵入し、立花城を奪い返してしまった。
そして立花道雪、立花宗茂の時代まで博多を支配し、島津が北上して博多をあらしたが、秀吉の九州平定に小早川隆景が入国した。
わが地元にも大きな影響のある歴史的事件だった。

2012年2月21日火曜日

古賀市と天満宮・天神社(更新)


古賀に飛び梅

天満宮と飛梅

太宰府天満宮から献木された紅梅。
枝には「紅千鳥」の札が下がっている。

学問の神様といわれる菅原道真を祭神とする天満宮の分社、川原天満宮が古賀市川原にあり、御本家の大宰府天満宮から梅の木が贈られた。
飛び梅伝説で知られる門外不出の梅だけに、氏子たちは新しい名所になってほしいと期待している。




古賀市川原の天満宮の氏子は現在20軒に減少し、ふだんは無人の神社となっている。氏子代表落合博喜さんは、地元の若者に関心をもってもらえるように、由緒ある梅を頂きたいと大宰府天満宮に今年1月に要望した。

本来は門外不出だが、同じ天神様を祭る神社には協力しようと、2月初旬に紅白の若木各1本(高さ約3米)を贈られてきた。

川原天満宮では11日に神事を行い、拝殿前に植樹し、今後多くの方に美しい梅を見てもらいたいと、開花を心待ちしている。

昨日は久しぶりの快晴日だったので、早速出かけてみた。小さな梅の蕾が見られたから、月末には開花が楽しみである。

その後、古賀市と天満宮の関係を考えてみたら、古賀と大宰府は、大宰府街道で直結しており、三郎天神社という小さな神社が、古賀市小竹のわが家から徒歩5分くらい所にある。
三郎天神社


明白な伝承はないが、古賀地区には大宰府天満宮の荘園があったことが古文書に残っているので、新原や小竹あたりに荘園があったのが縁だろうと推察できる。
農村、漁村の神さまらしいが、何故三郎なのか?はっきりしない。
道真の三男なら菅原寧茂らしいが、生没年も不明で歴史的存在も不詳である。それにしても道真公の多妻、多子に驚く。
北原白秋、頭山満、宮崎滔天などなど、末裔を名乗る人々は、多い。
また古賀駅周辺の地名に、天神一丁目から四丁目までの地名がある。今週は古賀郷土史研究会で、会長の飯島さんからこの古賀市「天神」の地名について説明があった。

現在の天神地区は古賀駅前の広い範囲
小字名の天神地区は花鶴川沿いの一部

天神と言えば福岡市最大の繁華街で、若い人は古賀の天神なんて恥ずかしいという。(古賀市でも一応繁華街の地名であるが。)
江戸時代初期に古賀浦の漁師たちが天神社を祀っていたが、砂の堆積により漁業が出来なくなり、漁村が消滅した。天神社も忘れられていたが、明治時代の新町名採用の時におもいだされて、町名として復活したという説明であった。

たしかに玄界灘に面した漁村には天神社や、天神の地名が多い。近くでは東区奈多、筑前町曽根田、筑紫野市常松などにある。
津屋崎にも天神があり、菅原道真が荒波のため波折神社に避難した歴史がある。箱崎浦にも網屋天満宮跡があり、福岡の水鏡天満宮は道真上陸の地である。
筑前30浦では道真の玄海灘渡航に協力し、海運の神としてあがめる風土があったのであろう。
古賀浦の天神社のあった場所は、いま最澄公園がある場所らしい。
天神社と天満宮は厳密にはことなるのだが、道真信仰が圧倒的にひろがって、天神信仰をのみこんでいるようだ。
個人の信仰で、聖徳太子信仰より広まったのは、何故だろうか?


農村、漁村の神さまらしいが、何故三郎なのか?はっきりしない。
道真の三男なら菅原寧茂らしいが、生没年も不明で歴史的存在も不詳である。それにしても道真公の多妻、多子に驚く。


2012年2月17日金曜日

平家落人伝説@九州

平家の落人は九州の各地にのがれて多くの伝説をのこした。
平家蟹は関門海峡周辺に生息する。
平家河童は九州各地から、瀬戸内に生息する。 秋になるとあわてて瀬戸内から九州に逃げ帰る。沿岸に白いソバの花が咲くのを、源氏の旗と間違えるからだという。
戦後河童の逃げ込んだ深い谷山には次々にダムが建設され、山里には河童のすがたがなくなった。河童は山奥に閉じ込められてしまった。

2012年2月2日木曜日

九州平家伝説@糸島

糸島市二丈満吉地区には、平清盛の長男、重盛の奥方と娘たちが、落ち延びて暮らしたという言い伝えが残っているので、糸島市の伊都国歴史博物館では、NHKの大河ドラマ「平清盛」が始まったのをきっかけに、この伝説を知ってもらおうと、平家ゆかりの品など約80点を集めた展示会が開かれている。
このうち、重盛がよろいの下に着けたとされる小袖の一部は着飾った女性が描かれ、華やかな生地だったことがうかがえる。
また、重盛の奥方が愛用したとされるすずりは、地元の平家の末えいとされる人が先祖代々大切に保管してきたものだ。
このほか、平家と主従関係を結んだ地元の武士にまつわる品も展示されている。