私たち夫婦は介護保険の認定で、要支援1である。
SJR千早に入居して数ケ月たった頃、私より17歳若いS君が、数年前ここに入居していることを知った。驚いたには、彼はアルツハイマー病やパーキンソウ病をわずらい、要介護3の状態であった。だから毎日の生活も、介護師がついての行動であった。西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2026年4月15日水曜日
要介護の知人サポート
アルツハイマー型認知症の薬のはじまり
エーザイの研究員、杉本八郎。彼が挑んでいたのは、当時「不治の病」とされ、有効な治療法がなかったアルツハイマー型認知症の薬でした。しかし、開発は困難を極めました。来る日も来る日も実験を繰り返し、4000種類もの化合物を試しましたが、結果はすべて失敗。成果が出ないプロジェクトに対し、会社の上層部は非情な決断を下します。
日野原の成人病のはじまり
1970年、当時58歳だった日野原重明は、学会へ向かう途中に「よど号ハイジャック事件」に遭遇します。北朝鮮を目指す犯人グループに拘束され、いつ殺されてもおかしくない極限状態を数日間過ごす中で、彼は死の恐怖と正面から向き合うことになりました。無事に解放されたとき、彼の心に宿ったのは「拾った命を、単なるキャリアの継続ではなく、日本の医療を根本から変えるために捧げる」という強烈な使命感でした。
2026年4月14日火曜日
緑茶の研究のはじまり
1920年代、まだ女性が研究者になること自体が「非常識」とされていた時代、辻村みちよは北海道帝国大学で無給の副手としてそのキャリアをスタートさせました。
当時のアカデミアには、女性が専門的な教育を受けたり学位を取得したりすることに対して非常に高い壁があり、彼女は研究費もままならない困窮状態の中で、ひたすら実験器具に向かい続ける日々を送ります。さらに1923年、ようやく積み上げてきた研究データが関東大震災によって研究室ごと灰になるという、絶望的な不運にも見舞われました。
2026年4月13日月曜日
インターネットのはじまり
今私たちが当たり前のように使っている日本のインターネットは、実は「犯罪者」になるリスクを背負った一人の男が、泥まみれになって床下を這いずり回るところから始まりました。
1980年代、日本の通信環境は今とは全く異なり、電電公社(現NTT)がすべての回線を独占していました。当時は「組織をまたいでコンピュータ同士を電話線で繋ぐこと」は法律で厳しく禁じられており、大学間でさえ勝手にデータをやり取りすることは許されない時代だったのです。しかし、「情報を繋ぐことでしか、日本の未来は開けない」と確信していた村井純さんは、国からの「違法行為だ」という警告を背に、孤独な戦いを開始しました。
いつ警察が踏み込んでくるか、いつ逮捕されるかという極限のプレッシャーの中、夜は机の下に寝袋を敷いて眠る日々。そんな執念によって、1984年、ついに日本初のネットワーク「JUNET(ジュネット)」が誕生しました。
このネットワークは、当時の常識を覆すほどの圧倒的な便利さを持っていました。
自ら泥をかぶって物理的にケーブルを繋ぎ、日本のデジタル社会を切り拓いた村井さんは、後に「日本のインターネットの父」と呼ばれるようになります。
2026年4月4日土曜日
異母兄妹の結婚
現代医学では遺伝学的な研究から、異母兄妹の結婚は禁止されている。
しかし古代では、奈良時代まで異母兄妹の結婚は多数行われてきた。
日本書紀によると、聖徳太子の父母は異母兄妹であり、推古天皇夫婦も異母兄妹である。
磐隈皇女は伊勢神宮の斎宮(未婚の女姓で最高責任者)として仕えていたが、異母兄の茨城皇子と結婚して、斎宮を解任されたのは、有名な話である。
海外では現在でも、異母兄妹の結婚を認めている国があるようだ。
イスラム教の国では、一夫四婦が制度として認められているから、異母兄妹が多数存在している筈で、その結婚も多いであろう。
遺伝学的に、どのような欠陥があるのか、詳しく知りたいものだ。
2026年3月28日土曜日
九大工学部の誘致と跡地の開発計画
明治40年に九州帝大工科大学の設置計画が出され、福岡市は東に京大福岡医科大があるので、西新町を適地としていた。しかし文部省は医科大を含め総合大学化の計画で、箱崎に決定した。土地の買収費は土地収用法により、7万円弱であった。それでも福岡市の予算の
13%をしめていた。
当時の地主の一人であった我が家の祖先は、安い土地代に泣かされたが、九大創立50周年の記念式までは、式典に招待されていた。しかし一族から九大に入学したのは、昭和20年の私が最初であった。