私は大正15年 5月に生まれ、今月で満100歳をむかえる。
大正15年の政治状況を一言でまとめると、AIは次の回答をしてきた。
- 政党内閣と議会政治が形式的には最も完成していた
- 同時に無産政党の誕生などで政治が大衆化し、右も左も多党化が進んだ
- 皇位継承と昭和への改元を控え、体制の先行きには不安も滲み出ていた
という「大正デモクラシーの最後の一年」でした。
田中義一が内閣総理大臣就任

1927年(昭和2年)3月、第1次若槻内閣のもとで全国各地の銀行で取り付け騒ぎが起こった。
若槻内閣は同年4月17日に総辞職を表明し、代わって立憲政友会総裁の田中が4月20日に組閣した。田中内閣には元総理や次の総理を狙う大物政治家、そして将来の総理や枢密院議長などが肩を寄せ合い、大物揃いの内閣となった。
- 内閣の主な顔ぶれ
- 外務大臣:田中義一(兼任)
- 内務大臣:鈴木喜三郎 → 後に第7代政友会総裁
- 大蔵大臣:高橋是清 → 元第4代政友会総裁・第20代内閣総理大臣
- 陸軍大臣:白川義則
- 海軍大臣:岡田啓介 → 後に第31代内閣総理大臣
- 司法大臣:原嘉道 → 後に第19代枢密院議長・第13代枢密院副議長
- 文部大臣:三土忠造 → 後に政友会正統派総裁代行委員のひとり
- 商工大臣:中橋徳五郎
- 逓信大臣:久原房之助 → 後に政友会正統派総裁
- 鉄道大臣:小川平吉
- 法制局長官:前田米蔵 → 後に翼賛政治会筆頭総務
- 内閣書記官長:鳩山一郎 → 後に自由党(政友会正統派の流れを汲む)総裁、初代自民党総裁、第52〜54代内閣総理大臣
蔵相に起用された高橋是清は全国でモラトリアム(支払猶予令)を実施し、金融恐慌を沈静化した。
この時代から、吉田茂や鳩山一郎の名前が出てくるのは、驚きであった。


