炭鉱王は、一族を敵に回してまで、築いた財産を若者の学びへ差し出した。
安川敬一郎は、筑豊炭田の開拓を進め、「九州の炭鉱王」と呼ばれた実業家である。後に世界的な産業用ロボット企業へ成長する安川電機を興し、九州の重工業化にも大きな道を開いた。巨額の資金を動かし、多くの事業を束ねる姿は、成功を疑う余地のない経営者に見えた。西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2026年8月1日土曜日
明治専門学校の設立
だが、炭鉱の現場へ足を運ぶたび、敬一郎の胸には重い疑問が積もっていた。働く若者たちには意欲も腕もある。それでも高度な技術や学問を身につける学校が少なく、貧しい家庭の子は学びの入口にさえ立てない。石炭を掘り出すだけでは、九州の未来は変わらない。技術を生み出す人間を育てなければ、産業はいつか立ち止まる。
敬一郎は、私財を投じて工業教育の学校をつくる決意を固めた。1907年、九州工業大学の前身となる明治専門学校の設立へ向け、300万円を拠出する。当時の私財の半分以上、現在なら数百億円規模ともされる大金だった。
親族や事業仲間は激しく反発した。
「一族を破産させる気か」
「長年かけて築いた財産を、学校につぎ込むなど正気ではない」
怒号が飛び、経営権を奪われかねない緊張まで生まれた。敬一郎にも迷いはあったはずだ。炭鉱経営には危険がつきまとい、景気が崩れれば、巨額の寄付が一族の暮らしを直撃する。それでも彼は決断を撤回しなかった。富を家の中へ囲い込むより、技術者を育てるために使う道を選んだ。
明治専門学校では、経済的に恵まれない若者にも学びの機会が開かれ、後の日本産業を支える技術者たちが育っていった。一方、巨財を投じた敬一郎自身は、豪華な邸宅へ移ることもなく、質素な木造の家で暮らし続けた。
炭鉱王の財産は、金庫の中で受け継がれたのではない。教室の机に向かい、図面を引き、機械と向き合う若者たちの手へ渡っていった。
2026年7月21日火曜日
電動機の国産化
日本の工場を揺らした最初の国産モーターは、成功を告げる美しい音ではなく、小屋が崩れそうな爆音を響かせた。
明治末期、日本の鉱山や工場を動かす重電機械は、外国製品に頼り切っていた。
外国人技術者からは「日本人にモーターなど作れない」と見下され、国産技術への期待さえ笑われていた。
日立製作所の創業者となる「小平浪平」は、屈辱を飲み込んで終わる男ではなかった。
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| 小平浪平 |
外国製の機械が故障するたび、修理する日本人技術者がいても、新しい機械を造る力までは認められない。技術者として抱いた悔しさは、やがて強い反発へ変わっていった。
小平は茨城県の日立鉱山にあった小さな修理工場へ若い技術者たちを集め、国産モーターの開発に挑んだ。立派な研究所も豊富な設備もなく、作業場は掘立小屋に近かった。失敗すれば、日本にはまだ無理だと笑われる。部品を削り、組み直し、試験を重ねる日々の中で、彼らが背負っていたのは一台の機械の成否より重いものだった。
1910年、ついに日本初の五馬力誘導電動機が完成した。
試作機へ電気を通すと、金属がぶつかる激しい音が響き、床も壁も大きく震えた。洗練された外国製品とは比べようもない荒々しい始動だった。それでも回転軸は止まらなかった。小平は騒音の中で動き続けるモーターを見つめ、「これで外国の機械はいらない」と語り、涙を流したという。
後に日立は、日本を代表する総合電機メーカーへ成長し、産業の近代化を支える存在となった。だが出発点にあったのは、完成された技術でも華やかな式典でもない。油と鉄の匂いが満ちた小屋で、若い技術者たちが爆音に耐えながら、震える機械を囲んでいた光景だった。
ヒロポンの運命
長井長義は、日本初の薬学博士となり、近代薬学の土台を築いた人物である。
ドイツで最先端の化学を学び、帰国後は日本薬学会の初代会頭を長く務めた。
1885年、長井は漢方薬の麻黄からエフェドリンを取り出すことに成功した。気管支を広げ、喘息の苦しみを和らげる成分として、世界の医療に大きな道を開いた。日本の薬学が欧米へ追いつこうとしていた時代に、彼の研究は国産科学の可能性を示す誇りでもあった。
研究室で長井が見つめていたのは、呼吸に苦しむ患者を救う未来だった。エフェドリンの構造を調べ、より有効な薬を探す中で、彼は後にメタンフェタミンと呼ばれる物質の合成にも成功する。当時の目的は医療への応用であり、人を依存へ追い込む薬を作ろうとしたのではなかった。
ところが長井の死後、研究成果は別の方向へ利用されていく。太平洋戦争中、メタンフェタミンは「ヒロポン」の名で大量生産され、眠気や疲労を抑える薬として兵士や工場労働者に使われた。戦争が終わると軍用の在庫が社会へ流れ、強い依存に苦しむ人々が急増した。
病を治すために生まれた化学が、心と身体をむしばむ薬へ変わっていく。近代薬学の父と称えられた長井の功績には、本人が知ることのなかった重い影が重なった。
2026年5月22日金曜日
地下水の汚染
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh1946/7/2/7_2_110/_pdf
戦後の混乱期に、古賀町でも地下水の汚染による被害者が多数発生しました。
地元の井上医師、樫山医師などと、九大の医学部の連携研究で、汚染の原因が追究されました。
2026年5月20日水曜日
吉村昭の戦史小説
戦艦武蔵
巨大戦艦武蔵の建造からシブヤン海での最期までを追った記録文学的長編で、吉村昭の名を決定づけた代表作の一つです。海戦シーンに加え、造船所や乗組員たちの証言を丹念に集めた「戦史記録文学」として評価されています。
海の史劇
日露戦争の日本海海戦を描いた大作で、ロシア艦隊の長征の出発から東郷平八郎の死までを通して、海戦の全体像を再構成した作品です。日本海海戦の「劇的な全貌」を克明に描いた歴史・戦史小説として位置づけられています。
深海の使者
第二次大戦中の「遣独潜水艦作戦」を扱った長編で、連合軍の封鎖をかいくぐって大西洋に潜入する日本潜水艦の連絡任務を描きます。「著者最後の戦史小説」と紹介されることも多く、潜水艦戦を正面から扱った代表的な海戦小説と言えます。
幕府軍艦「回天」始末
幕末の幕府軍艦回天を軸に内戦期の海戦とその実態を追った作品で、吉村の「徹底した事実主義」による海戦描写が高く評価されています。近代海戦の前史として読むのに向いた一冊です。
残酷さとリアリズムが強い系
- 殉国 陸軍二等兵比嘉真一
沖縄戦の少年兵を描いた長編。イデオロギーを極力排し、二等兵の日常と最期を淡々と追う戦記小説。 - 戦史の証言者たち
兵士や関係者からの聞き書きをもとにしたノンフィクション寄りの戦記。太平洋戦争の各戦場の証言がメインで、吉村の取材力がよく分かる一冊。
海軍・潜水艦が舞台の長編
- 深海の使者
日独連絡のため、大西洋に潜入した日本潜水艦の作戦を描く長編。緊張感のある海戦描写と、乗組員の消耗がじわじわ来るタイプ。 - 空白の戦記
正史にあまり載らないエピソードを扱った短編集。兵站や裏方など「影の戦争」をめぐる話が多い。
🌊 近代戦争・海戦もの
- 海の史劇
主に日本海海戦を中心とした日露戦争期の海戦を描く。戦術の動きや艦隊運動までかなり細かく、海戦ものが好きなら必読。 - 幕府軍艦「回天」始末
幕末の幕府軍艦回天を通して内戦期の海戦を描く作品。綿密な資料調査と事実主義が特徴で、海戦の「現場感」が強い。
🧭 記録文学寄りの代表作
戦史小説と隣接する「記録文学」ですが、戦争に関わる代表作としては次のようなものがあります。
| 作品名 | 主な題材 | 雰囲気の特徴 |
|---|---|---|
| 戦艦武蔵 | 巨艦武蔵の建造と最期 | 徹底取材の記録文学(shinchosha.co.jp) |
| 海の史劇 | 日本海海戦などの日露戦争 | 史実重視の戦記小説調(shinchosha.co.jp) |
| 空白の戦記 | 埋もれた戦争エピソード集 | 裏面史を掘り起こす(shinchosha.co.jp) |
| 深海の使者 | 大戦中の潜水艦作戦 | サスペンス性のある長編(books.bunshun.jp) |
🌊 代表的な海戦・海軍もの
戦艦武蔵
巨大戦艦武蔵の建造からシブヤン海での最期までを追った記録文学的長編で、吉村昭の名を決定づけた代表作の一つです。海戦シーンに加え、造船所や乗組員たちの証言を丹念に集めた「戦史記録文学」として評価されています。(shinchosha.co.jp)
海の史劇
日露戦争の日本海海戦を描いた大作で、ロシア艦隊の長征の出発から東郷平八郎の死までを通して、海戦の全体像を再構成した作品です。日本海海戦の「劇的な全貌」を克明に描いた歴史・戦史小説として位置づけられています。(shinchosha.co.jp)
深海の使者
第二次大戦中の「遣独潜水艦作戦」を扱った長編で、連合軍の封鎖をかいくぐって大西洋に潜入する日本潜水艦の連絡任務を描きます。「著者最後の戦史小説」と紹介されることも多く、潜水艦戦を正面から扱った代表的な海戦小説と言えます。(books.apple.com)
幕府軍艦「回天」始末
幕末の幕府軍艦回天を軸に内戦期の海戦とその実態を追った作品で、吉村の「徹底した事実主義」による海戦描写が高く評価されています。近代海戦の前史として読むのに向いた一冊です。
2026年5月17日日曜日
百寿の祝賀会
大正三年生まれの古賀作一さんは、安倍晋三総理から表彰された。
大正十五年生まれの私は、九州大学の後輩で同じ寅年うまれで、東サロンで20年間も指導をいただいた。
私もやっと今年百寿となり、九月には高市総理から表彰される予定である。
東サロンのような集まりはコロナで消滅したが、SJR千早の友人の集まりで、何らかの祝賀会を行いたいと思っている。SJRにはほかに一人百寿の人がおられる。
百寿人口の増加で、「寿」の銀杯は少し小さくなっているいるだろう。昔は100g以上だったらしいが、最近は95gになっているようだ。
R8.5.10.には、SJR千早のゲスト会場で、子供、孫、ひ孫たちが集まって、100歳の祝賀会を行ってくれた。
2026年5月4日月曜日
大正15年~昭和2年の政治
私は大正15年 5月に生まれ、今月で満100歳をむかえる。
大正15年の政治状況を一言でまとめると、AIは次の回答をしてきた。
- 政党内閣と議会政治が形式的には最も完成していた
- 同時に無産政党の誕生などで政治が大衆化し、右も左も多党化が進んだ
- 皇位継承と昭和への改元を控え、体制の先行きには不安も滲み出ていた
という「大正デモクラシーの最後の一年」でした。
私の名前は、立憲政友会総裁田中義一の名前をとって、義一とナズケられた。ただし読みは、ギイチではなく、ヨシカズで、政治には無関係な人生であった。
田中義一が内閣総理大臣就任

1927年(昭和2年)3月、第1次若槻内閣のもとで全国各地の銀行で取り付け騒ぎが起こった。
若槻内閣は同年4月17日に総辞職を表明し、代わって立憲政友会総裁の田中が4月20日に組閣した。田中内閣には元総理や次の総理を狙う大物政治家、そして将来の総理や枢密院議長などが肩を寄せ合い、大物揃いの内閣となった。
- 内閣の主な顔ぶれ
- 外務大臣:田中義一(兼任)
- 内務大臣:鈴木喜三郎 → 後に第7代政友会総裁
- 大蔵大臣:高橋是清 → 元第4代政友会総裁・第20代内閣総理大臣
- 陸軍大臣:白川義則
- 海軍大臣:岡田啓介 → 後に第31代内閣総理大臣
- 司法大臣:原嘉道 → 後に第19代枢密院議長・第13代枢密院副議長
- 文部大臣:三土忠造 → 後に政友会正統派総裁代行委員のひとり
- 商工大臣:中橋徳五郎
- 逓信大臣:久原房之助 → 後に政友会正統派総裁
- 鉄道大臣:小川平吉
- 法制局長官:前田米蔵 → 後に翼賛政治会筆頭総務
- 内閣書記官長:鳩山一郎 → 後に自由党(政友会正統派の流れを汲む)総裁、初代自民党総裁、第52〜54代内閣総理大臣
蔵相に起用された高橋是清は全国でモラトリアム(支払猶予令)を実施し、金融恐慌を沈静化した。
この時代から、吉田茂や鳩山一郎の名前が出てくるのは、驚きであった。
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