2026年3月23日月曜日

イランの歴史と社会

 

イランには古代の栄光があり、何回も大国に敗れながら結束を高めた結束がある。

わずか200~300年の歴史しかないアメリカに対しても、この結束で戦っているとする

東大名誉教授羽田正名誉教授の説である。

これが現代の民主主義的社会への抵抗になっているのであろう。

2026年3月22日日曜日

モンゴルと日本

モンゴル出身の霧島力士が3回めの優勝をした日に、こんなニュースを知った。



ある日、青森県に暮らす高村さん一家のもとに、一本の電話が掛かってきた。受話器から聞こえてきたのは、予想だにしない言葉だった。
「外務省からです。モンゴルの大統領が、あなた方を探しています」
話は28年前に遡る。高村さん一家は、ホームステイで一人のモンゴル人青年を受け入れた。約1週間という短い期間だったが、共に食卓を囲み、笑い合い、一家は彼と深い絆で結ばれた。特に、幼かった娘さんはすっかり彼に懐き、いつもそばを離れなかったという。
別れの時、その心優しい青年は、高村さん一家、とりわけ小さな娘さんと固い約束を交わした。
「いつか、僕の国モンゴルに招待します」
それから四半世紀以上の時が流れた。日々の暮らしの中で、その約束は遠い昔の温かい思い出となっていた。そこへ掛かってきた、あまりにもスケールの大きな一本の電話。なんと、あの時の好青年「フルレー」(当時の愛称)が、モンゴルの大統領になっていたのだ。「まさか、あの時の青年が大統領になっているとは…」。高村さん一家は、驚きを隠せなかった。
しかし、約束は言葉だけでは終わらなかった。数年後、大統領となったフルレーこと、ウフナーギーン・フレルスフ氏は、高村さん一家を正式にモンゴルへ招待。28年ぶりに再会を果たした彼は、涙を浮かべながら、かつて本当の家族のように接してくれた一家を温かく抱きしめた。
しかも、そのもてなしは想像を絶するものだった。国賓級の待遇で迎えられ、国民的な祭典では各国の来賓が並ぶ席に通された。一国のリーダーとなっても、彼は日本の一家と交わした約束を、そして受けた恩を決して忘れてはいなかったのだ。
モンゴルの広大な大地の下で、高村さん一家は再び彼と約束を交わした。
「今度はまた日本に遊びに来てください」
国や立場を超え、一人の人間として交わした約束を大切にし続けた大統領と、その優しさを受け止めた日本の家族。それは、人と人との絆がいかに尊いものであるかを物語る、奇跡のような実話である。

田中耕一氏



 ノーベル賞受賞者が語る:私はとても賞を受ける資格などない

ノーベル賞後の17年の沈黙:己を証明する道のり
ノーベル賞受賞者として、私は田中耕一氏(2002年化学賞)の特異な価値を痛感している——彼は「エリート科学」の認知枠組みそのものを覆した。
グリセリンをコバルト試薬に誤って混入したという「間違った実験」が、科学的発見の本質を露わにした。実に、68%の画期的なブレークスルーは、非常識な道筋から生まれている(『ネイチャー』2023年統計)。
しかし、より衝撃的なのは、彼の受賞後の研究軌跡である。
データから見る実像
• 学術的沈黙期:受賞後16年間、論文はわずか3本。しかし、血液検査の感度を10⁻¹⁸g/mLまで向上させた(従来のELISA法の10⁶倍)。
• 臨床的ブレークスルー:2024年『ネイチャー』論文にて、アルツハイマー病の超早期診断を実現(症状発現の30年前にβアミロイドオリゴマーを検出)。治療介入の可能な時期を、症状期から潜伏期へと前倒しした。
産業化への転換:特許技術を応用した検査キットの単価を2ドルまで低減(従来のPET検査は5000ドル)。世界の潜在的患者3700万人への普及に道を開いた。
型破りな科学者からの啓示
1. 学際的バックグラウンドの強み:電気工学の出身であるがゆえに、化学者の思考の盲点を突破。パルスレーザー脱離質量分析計を設計し、デバイスのS/N比(信号対雑音比)を当時最高水準の147:1にまで高めた。
2. 職人魂の価値:出世や昇進を断り、現場にこだわり続けた。20年間で527種類もの試薬関連の「失敗」データベースを蓄積。これが、常識外れの発見の礎となった。
3. 時間というレバレッジ効果:16年もの歳月をかけて一つの課題に没頭するという「愚直な努力」が、検査処理能力を400倍(1時間あたり4検体→1600検体)に向上させた。
ノーベル賞のパラドックスを解く
田中耕一現象は、科学界の評価システムの矛盾を如実に映し出す。
• 受賞前:学術界から「査読付き論文が会議録1編のみ」と無視された。
• 受賞時:「専門教育を受けていない」との理由で疑念の目を向けられた。
• 受賞後:16年の歳月をかけて、「偶然の発見」と「体系的なブレークスルー」との溝を埋め続けた。
これは、科学的信用(クレディビリティ)の蓄積を表す、以下のような式を想起させる。
Credibility(科学的信用) = (Discovery(発見)× 10) + (Rigorous Proof(厳密な実証)× 100) / Years(年数)



2026年3月11日水曜日

イラン戦争の新兵器と世論(テレビ討論)


ウクライナ戦でも、ミサイル、ドローン、無人機などが使用されているが、
イラン側は無人飛行機を大量に製作し、地下施設に保有していた。 


また無人飛行機用の空母も製作し、作戦の効率を高める計画であった。


米軍側も高性能の迎撃用の無人機「メロプス」を開発していた。
すでにウクライナで実戦に投入されており、イラン戦にも活用された。
そのほか、地下壕を破壊できる特殊爆弾も多数使用されている。

さらなる新兵器として、核弾頭を使用する時代が到来しそうだ。
欧州8ケ国は、G7の時代が終わっているので、D7(民主主義7ケ国)が、中核を担うよう働くことを主張している。


非核主義の日本はアメリカに対してまともに法的評価を行うことは困難とかんがえており、イランに対しては民間施設への攻撃や、ホルムズ海峡での航海の自由を脅かす行為を停止するよう伝える程度である。

2026年3月9日月曜日

検察側の不正事件

 村木厚子さん(元厚生労働次官)の裁判記録が日経新聞に連載されている。

係長が不正をしたのに、次官まで不正を指令したと考え起訴した検察側のミスであった。

裁判が無罪判決になった決定的証拠は、フロッピーディスクの日付を主任検事が改ざんしたことであった。

村木被告が拘留されていた時にみた書類では、6月1日1時20分06秒になっていたので、おかしいとメモをしていたのに、裁判に提出された書類では、6月8日21時10分56秒に書き換えられていた。

これが決定的証拠となって、主任検事は、最高検に逮捕された。



しかしこのことはマスコミではあまり大きく取り上げられなかった。


2026年3月8日日曜日

イラン戦争の経緯

 


中東地区では青のスン二派が多数派であり、イランのシーア派は少数派である。

現在石油産油国では、サウジアラビアが親米国で、イランは反米国である。

かっては、パフレヴィー2世の白色革命の時代は、イランは親米国であった.
わたしがテヘランを旅したのは、この頃であった。しかし国王の独裁色が強すぎた。

パフレヴィー2世がアメリカに亡命した時、イランはアメリカ大使館3年間も占拠し、館員を拘束した。このため国交断絶状態となった。

その後イランは、米国の再三の警告にもかかわらず、核兵器製造の技術開発を持続したため、米国はイランの最高指導者二人をミサイルで殺害した。


そして現在のイラン戦争に突入している。
アメリカには、ユダヤ人の富豪が多く、政治献金もしていることや、トランプ大統領の孫娘がユダヤ人と結婚したことなども影響して、イスラエルと共同作戦をおこなっているという説もある。

シュミレイションと群衆心理

 多くの計画では、事前にその計画の善悪を、多数の人物を集めて検討し、実行するか否かを検討することが多い。

東條内閣でも、日米戦争の是非を検討するグループをつくって,論議していた。

日米戦争のシュミレイショングループ
当初は賛否両論が拮抗していたが、東条は反対者に対して、圧力や人事異動などを行って、賛成多数の結論に誘導したとされている。

人間心理として、グループの中の賛成者が、30%を超えると、賛成の方向にまわる人が増え、過半数になると、賛成者が圧倒的になるという。



ナチスや日本も、この群衆心理で戦争に突入したのであろう。