2021年7月31日土曜日

昭和天皇の数々の ”史上初” の記録

昭和天皇の数々の"史上初"の記録

  (注:アンダーラインの事項)

生:明治(1901) 没:昭和64.1.7(1989) 昭和1(1926)年から同64年まで在位。皇太子明宮嘉仁親王(大正天皇)と皇太子妃節子(貞明皇后)の第1皇子。

大正3(1914)年学習院初等科を卒業し,東郷平八郎を総裁とする東宮御学問所で,白鳥庫吉,服部広太郎,杉浦重剛など一流の学者,教育者を教師として,10年まで学ぶ。

大正4年に立太子の礼,6年皇太子妃に久邇宮良子が内定,8年成年式が行われた。

大正10年に皇太子として最初のヨーロッパ訪問(特に英皇室との親善)が実現。



帰国後摂政に就任し,13年結婚。この間12年台湾行幸, 年末にアナキストによる狙撃事件(虎ノ門事件)があったが、無傷で過ごされた。 (犯人は難波大助、当時24歳の共産主義者)

元老西園寺公望,牧野伸顕内大臣,一木喜徳郎宮内大臣らリベラルなグループによる補佐を受け,政務を執行された。 

15年大正天皇の死去とともに践祚,元号が昭和と改められた。昭和2(1927)年の大正天皇の大葬,そして3年京都で御大典が挙行された。

この前後,天皇の心労は陸軍の行動であり,張作霖爆殺事件に関しての4年の田中義一総理に対する叱責はその現れであった。その後も軍部に対する疑念は大きく,ロンドン条約,満州事変における天皇の行動もその延長線上にあった。



「現状打破」をめざす「革新派」は,天皇側近を「君側の奸」として攻撃し,2・26事件(1936)が起きて、天皇家警備の警視庁が占拠された。



このとき信頼する側近を多く殺害された天皇は激怒して,その鎮圧を強く要望された。

12年に始まる日中戦争についても,また16年の日米開戦についても,強く躊躇の態度を表明したが,正規の手続きによって裁可を求められたものは最終的には裁可を与えられた。

敗戦濃厚になり、軍は長野県に松代大本営を作ったが、天皇は東京を動かないと決意をのべられた。

松代大本営
20年8月ポツダム宣言受諾か否かをめぐり内閣,統帥部が分裂し,態度決定ができなかったとき,はっきり受諾の意思を表明,最終決定に決定的な役割を果たされた。


8月15日の玉音放送は国民一般が天皇の生の声を聞いた最初であり,スムーズな降伏に大きな役割を果された。

この御前会議場の地下室は、現在もそのまま宮城内に残されている。


 

占領下天皇大権は連合国軍総司令官の下に置かれ,9月27日天皇はマッカーサーを訪問,その際の,背の高いマッカーサーの脇に並んだ小柄の天皇の写真は国民にショックを与えた。しかしこのときマッカーサーは天皇の態度に感銘を受けたといわれる。



21年1月いわゆる「人間宣言」を発した天皇は全国各地をし,再建に働く国民を激励し,また熱烈な歓迎を受けた。



22年の日本国憲法で「国民統合の象徴と位置づけられ,以後その役割を忠実に果たした。皇后と共に46年にはヨーロッパを,50年にはアメリカを訪問

62年以来入退院を繰り返し,64年十二指腸乳頭周囲腫瘍で崩ず。翌年大葬が行われた。相撲観戦を好み,また若いときから生物学を学び『相模湾産ヒドロ虫類』など8冊の著書がある。

そのほかにも初めて尽ずくめの昭和天皇


1)まず特筆すべきは、昭和天皇のその長寿である。

残された文献の正確性が高い6世紀の欽明天皇以降の資料によれば、昭和天皇の87歳は歴代最長寿だ。

(ただ現在87歳の上皇さまが、12月の誕生日を迎えると88歳となられるので、昭和天皇の記録を抜くことになる。)

2)長寿であるということは、天皇の在位期間も長く、その点でも昭和天皇は62年(22660日)という歴代最長記録(上記、欽明天皇以降)の持ち主だ

 天皇に即位する前には、病床に臥していた大正天皇に代わって、政務を代行する「摂政」を大正10年から5年弱の間、務められていた点を考えれば、在位期間以上の間、天皇と同じ公務を行っていたことになる。

3)在位が長く長寿であったことから、以下のような珍しい出来事も可能となった。それは昭和55年2月23日、20歳となった徳仁親王(現天皇陛下)が成年式に臨まれた時のこと。

 「成年皇族となったことを宣明する、『成年式』の主な儀式の『加冠の儀』は、皇居・宮殿『春秋の間』で行われ、昭和天皇ご夫妻も出席された。

つまり昭和天皇ご夫妻と皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)、そして徳仁親王(現天皇陛下)の親子三代が、皇室の歴史上初めて「加冠の儀」に同時に参列したのであった

■そのほかの初めての補足

A) 「摂政」になる直前の大正10年に、皇太子としてヨーロッパ各国を訪問したのも、昭和天皇が初めてだったことは前述した。後に昭和天皇はその時の思い出をこう話されている。

「イギリス国王ジョージ五世から立憲政治の在り方について聞いたことが、終生の考えの根本にある」

B)  また若いときから生物学を学び、皇居内の生物学研究所で行っている稲作も、昭和2年に「品種研究や農家の苦労をしのぶため」に昭和天皇が始められたものだ。収穫した米は新嘗祭など宮中祭祀に用いたり、伊勢神宮に奉納している。上皇さまの代からは、さらに種もみまきもされるようになった。

C) また終戦直後の昭和21年から、戦災で苦しむ人々を励ますために「全国巡幸」を始め、昭和29年までの8年間で沖縄を除く46都道府県をあまねく訪問された。その締めくくりの巡幸が、北海道の旅だった。

 行きは青函連絡船で津軽海峡を渡ったが、帰りには日本航空のダグラスDC-6B型機「シティ・オブ・トウキョウ号」を利用し帰路につかれた。なんとこの飛行機に乗ったことで、昭和天皇は史上初の空を飛んだ天皇となられた。



D) 「側室廃止」は、明治後期から大正時代に形成されつつあった近代家族像の延長線上にあった。

左から、長男の迪宮裕仁親王(昭和天皇)、三男の光宮宣仁親王(高松宮)、次男の淳宮雍仁親王(秩父宮) (1906年頃撮影)
 欧米の上流階級では、幼少期の男子にも女子の服装を着させて養育させる習慣があった事から、皇室でもそれを取り入れることになった。


昭和天皇と香淳皇后との間には2男5女が誕生したが、はじめは皇女が続いた。宮内大臣の田中光顕が側室制度を提案したが、昭和天皇は拒否の回答をされた。昭和8年に皇子の誕生で、側室制度の話は消えた。



今、皇位の安定継承を考える政府の有識者会議が行われているが、皇室の血脈を巡る考え方にはまだまだ賛否の声が渦巻き、一致した議論の方向性も見出せていない。

 昭和天皇のご生誕120年の今年、その血脈に連なるご家族がどう継承されるのか、注目していきたい。

2021年7月30日金曜日

三角波の造波実験装置

 学生時代はヨット部で海洋波との闘いであった。

FBの箱崎九大跡地ファン倶楽部で九大の大水槽解体の情報を見たとき、ふと福津市にあった九大の
三角波の造波実験装置のことを思い出した。
福島県の沖合に三角波が発生する海域があり、海難事故が多発していた。
50年前、プランジャー型造波機を電動式電子制御装置で、いろんな三角波を自動的に発生させて運転する水槽を、私達が提案し、実現したから、当時は最先端技術で多くの国から見学者が殺到した。国内の他の大学にも多数設置された。
九大の水槽は、すでに解体されて、糸島の移転先に写真のような実験水槽が完成しているそうだ。
工学部の移転は、建物以外にも大きな費用が伴うものだ。


柳川の水路の役目

 柳川の掘割の水路は、生活用水としての利用がなくなった現代では、観光用の川下りだけが使命と思われている。

しかし、現実には水郷の掘割は大きなダムの役割があり、洪水対策の役目を果たしているようだ。

大牟田の水害


昨年久留米や大牟田が大きな水害にあったとき、柳川にも同程度の雨が降ったが、浸水家屋はゼロだった。




市役所では大雨の予報が分かっていたので、干潮時に水路の水の先行排水を事前に行っていたそうだ。


先行排水

水路の途中には、川幅が極端に狭くなっている箇所がいくつもある。


石垣の巾がV字になっている


この部分を「もたせ」と呼ぶが、増水時の流量を、自動的に調整する機能がある。

川幅の石垣が、V字型になっており、水位が低い時は流量がすくなく、水位が上がると、流量が増えるのである。古来からの人知でつくられている。

水位が低いと流量が減る

水位が高いと流量が増える

柳川の先人たちの知恵



2021年7月29日木曜日

ゴルフ競技の世界的分布

 ゴルフ競技の世界的分布

イギリス生まれのゴルフ競技が、今や世界に広まっている。

東京五輪の男子ゴルフ競技に参加する国は約36国。その分布を調べてみた。

1)西欧:10ケ国

 イギリス(イングランド;アイルランド;北アイルランド):フランス:ドイツ:

 イタリア:スペイン:スイス:ベルギー:オランダ:オーストリア:アイルランド

2)北欧;バルト三国:5ケ国

 デンマーク:フィンランド:スウェーデン:ノルウェー:アイスランド

3)中・東欧:3国

 チェコ:スロバキア:ポーランド

4)アフリカ:3ケ国

 モロッコ:ジンバブエ:南アフリカ共和国

5)東アジア:4ケ国

 日本:韓国:中華民国:台湾

6)東南アジア:3ケ国

 フィリッピン:タイ:マレーシア

7)北米:2ケ国

 アメリカ:カナダ

8)中米:2ケ国

 メキシコ:プエルトルコ

9)南米:2ケ国

 ベネゼエラ:コロンビア

10)オセアニア:2ケ国

 オーストラリア:ニュージーランド


“All good things.” Steve Jobs in KYOTO



初めて会ったとき、ジョブズが「俺は禅宗だ」と言うので、「それは臨済禅か、曹洞禅か、黄檗禅か」とたずねると、「曹洞禅だ」と答えた。
龍安寺、野村別邸、そして、果たせなかった永平寺行き。
ジョブズの禅宗への深い思い入れを物語るエピソードだ。

 “All good things.”

直訳すれば「すべての良いこと」だが、
これは “All good things must come to an end.”
「どんなよいことにも終わりがある」ということわざの一部でもある。
「良いことはいつまでも続かない」という意味だ。

大西さんは、「ジョブズさんは自分の死期を悟っていたのか、全てを書かずに、この言葉だけを残したことが印象に残りました」と話す。
寿司屋での揮毫

(Steve Jobs  が京都旅行をしたとき、3回も案内した観光タクシーの大西さんの記録)

2021年7月28日水曜日

新宮港

 昨日は義弟が遊びにきたので、ウナギでなく、新宮の海鮮料理店にでかけた。帰りに


新宮港を見たいというので、久しぶりに港までいった。

あいにく相之島連絡船は出港中だったが、駐車場は車が満車に近い状態で、人の往来は活発なようだった。

新宮港が古賀の花鶴港のように埋まらなかったのは、左岸の突き出た半島のお陰である。

「ナイキNike」

 コロナ後の景気回復は、スウッシュ型といわれてきた。

しかし、コロナの2次拡大の型でもある。
スウッシュは、1971年に商標登録された「ナイキNike」のロゴマークの名称で、”ビューンと音をさせる”という意味の「スウッシュ (Swoosh) 」。
ポートランド州立大学でグラフィックデザインを選考していた学生のキャロライン・デビッドソンが制作したもので、躍動感やスピード感を表現しており、社名の由来ともなった女神ニケの翼をモチーフにしていると言われている。



2021年7月27日火曜日

アルプスの風景の思い出

2021年 7月26日(昨日)は涼を求めて、BSでジュネーブからユングフラウまでの旅行番組をみた。





3回目1984年に訪れたレマン湖やマッターホルンは懐かしい風景を満喫した。
レマン湖


マッターホルン

ユングフラウ

2回目1973年は、ルッチェルン周辺の山の氷河を少し登っただけで、今回の番組には登場しなかった。

1回目1968年の登山では、ユングフラウは雲のため地下の氷の殿堂美術館だけの記憶だが、BSでは、アイガー、メンヒ、ユングラウの3山のパノラマを満喫できる回転展望台が紹介された。

氷の殿堂


地下美術館




ミューレンやシュテッヘルベルクを起点にケーブルカーでアクセスでき、360度回転するレストランは、映画『女王陛下の007』のロケ地として使われたことで有名になった。
私はこのロケの2年前にいったので、まだ日本では知られていなかった。
回転展望台


2021年7月26日月曜日

熱中症

  寝室で眠ったまま、熱中症で亡くなった高齢者が何人かあるそうだ。

 まさに命にかかわる高温気象現象だ。

これは苦しみや痛みを感じない死亡の一つかもしれないと思ったが、家内たちは、苦しかったはずだという。生物に苦しみのない死はないという先入観が強い。

私の臨死体験では、柔道の試合でシメ落とされたとき、スーッとねむるように気を失い、苦痛感はなかったと記憶している。
「カツ」入れ(蘇生)は経験豊富な師範格の相手だったからすぐに蘇生し、スッキリ目覚めた気分だった。

こんな経験を話しても、家内からは、あなたが鈍感なだけと決めつけられた。

東京五輪開会式

 東京五輪開会式の感想

コロナ禍という前代未聞の厳しい環境のもとで、我が国の威信をかけて開催を決断した日本政府と東京都。

①時間

前回(1964)は、13:45~15:43の昼間3時間で、選手入場・挨拶・聖火入場/点火などが主体で、ショーなどは全くなし。
今回は夜間の20時放送開始、23:30までの放送の予定が24時まで延び4時間だ。
ショーが入るので夜間になり、入場行進の際の国と国の間隔が空いていたので、当初の見込み時間を超えたのであろう。
②国旗掲揚と国歌独唱

オリンピアン代表が掲げて行進した後に自衛隊員(陸海空・男女同数)に引き継いでいだ。
旗が風にたなびくのは、ポストに送風機が仕込んであるのか?。MISIAの歌唱力はさすがだが、クギリ(ブレス)がおかしいという批判も。



③ショー

責任者の辞任解任が相次ぎ、廃止論も出ていたが、あれだけの機材準備とリハーサルを重ねたスタッフの苦労を考えるとやってよかったと思う。ただテーマが多すぎてつながりが希薄になった。
真矢みき主演の木遣り唄や、市川海老蔵の歌舞伎十八番「暫」などの江戸文化も、海外の方には理解できなくても、日本の伝統芸能であることは感じられたと思う。



④入場行進

前回では、国ごとに整然と隊列を組んで入場していたが、最近ではその姿は消えてた。
前回は、
参加國・地域数:93. 競技数:20. 種目数:163. 参加選手数:5152名。

今回は参加国も増え、難民チーム、香港や英国領〇〇、米国領〇〇など独立国以外を含めて、206選手団だ。
日ごろなじみのない国も多く、全世界からこれだけの人々を呼び寄せて整然と行進してもらうのは大変だったと思う。
競技数:33. 種目数:339. 参加選手数:11,092名。
新競技に、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手などが加わった。

⑤開会挨拶
橋本会長・バッハ会長のは少し長く感じたが、まああんなものだう。天皇陛下の開会宣言では「祝う」を「記念して」と和訳を変更したそうだ。

⑥聖火リレー

オリンピアン(柔道・野村、レスリング・吉田)→プロ野球のレジェンド(長嶋、王、松井)→医師・看護師→東北の子供たち→現役のパラオリンピアン→国際知名度の高い大坂なおみという顔ぶれでつなぎ、最終ランナーはテニスの大坂なおみ選手で締めくくり。



 追加記載
①ショーのダンサー森山未来の追悼の踊りは独特。


②大量の花火が打ち上げられ、その夜空に地球をかたどった球体が空中に浮かんだのはドローン1824機の集団飛行の光。これは新技術の代表であった。

 

  

③入場行進の順番がABC順ではなくアイウエオ順で、ギリシアに続いてアイスランド、アイルランド・・・。
最後は日本、その前は次回開催のフランス、その前は次々回開催のアメリカ。

NHKの和久田アナウンサーが入場行進の各国紹介で、 「チャイニーズ・タイペイ」を「台湾」と紹介したことに台湾で感謝の声があがっているとのこと。 

➄ピクトグラム50はながすぎた。33で良いはず。



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