「チューリング」は、イギリスの数学者。第2次大戦中、ドイツ軍の暗号解読部隊に若いころ参加した。
とても面白そうだからという理由でさんかしたが、難解であった。機械式計算機を考案し、半年かけてやっと解読できた。これでドイツ軍の潜水艦の移動状況を把握できるようになり、戦局が好転した。
もし解けなかったら、イギリスは敗北していたかもしれない。
「エニグマ」が、チューリングが作った暗号解読機である。
これによりドイツの暗号が解読され、ドイツのUボートを次々に沈めることが出来た。
しかし彼は同性愛者だったため、逮捕され補導されたため、精神的打撃をうけ、青酸カリをのんで、自殺した。
当時一緒に暗号解読作業をしていた数学者グッドは、彼の才能を評価していて、死亡前に彼が発表していた論文を高く評価している。
その論文は、コンピューターが、単なる計算機でなく、人間の知能になることを予想した世界で最初の論文であった。
「ノイマン」はハンガリーの数学者。アメリカに亡命して、原爆開発のマンハッタン計画に参加していた。
爆発しにくいプルトニューム239を爆破するための方式を考案し、圧力計算をして爆発実験を成功させた。これが長崎に投下されて、7万人の死者がでた。
その頃、米国で真空管方式の電子計算機ENIACが開発され、弾道計算に使用された。
陸軍の予算で、ペンシルバニア大学が10進法で開発した。
その設計はENIAC構築中に考案された多くの重要なアーキテクチャ上または論理上の改良を取り入れるもので、2進法に変更し、高速な遅延記憶装置を採用することにしていた。
IASマシンとは、アメリカ合衆国ニュージャージー州のプリンストン高等研究所(IAS)が開発した初期の電子式コンピュータである。IASマシンは1945年末ごろから開発が開始され、1951年稼動している 。いわゆるノイマン型の最初期のコンピュータの一つである。
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フォンノイマン型アーキテクチャーの図 |
ノイマンは1956年に、アイゼンハワーから大統領自由勲章を受章した。
「ハーマン ホレリス」
ホレリスは大学卒業後に国勢調査局のジョン・ショウ・ビリングス統計部長に誘われて助手として働いた。そして、この大変な作業を目にしたのである。また、このままでは1890年の国勢調査は10年以内に集計が終わらないことが確実だった。
ホレリスは1882年にMITの機械工学科で過ごした。その間にパンチカードにデータを格納するシステムを試作している。これは、鉄道の車掌が乗車券の様々な場所に穴を開けることで持ち主の状態を表すことからヒントを得たものであった。
ジョン・ショウ・ビリングスに示唆を受けて、ホレリスはパンチカード上の各位置に穴があるかどうかを電気的に検知して集計する仕組みを開発した(バネ付きの針の並んだ板と水銀の入ったトレーの間にパンチカードを挟んで針が水銀につくと導通して穴があることがわかる)。
ビリングスが示唆した鍵となるアイデアは、個々のデータを全て数値に置き換えることであった。ホレリスはパンチカードの所定の位置に数値を記録すれば、それを元にカードを機械的にソートし、所定の桁位置のデータを集計できると気づいた。
1888年、国勢調査局は統計作業を効率化するための発明コンテストを行い、ホレリスのシステムが選ばれた。これにより、1890年の国勢調査でホレリスのタビュレーティングマシンが大々的に使われることになった。
このシステムについて解説した論文 An Electric Tabulating System (1889) はホレリスが博士論文としてコロンビア大学に提出し、後に本にも収録されている。
彼は1889年1月8日の特許395,782号で自身のアイデアを以下のような請求項で記述している。
非導電性の素材でできたシートに穴を開け、個々の穴や穴の組み合わせで個々の統計項目を記録し、規格化された充分な強度を持った穴あきのシートで制御される電磁石回路によって操作された機械式カウンターによって統計項目を個別または組み合わせて数えることで構成される、統計を編集するここに説明された方法。
次の世紀のコンピュータ時代のこととなるが、初期のFORTRANにおいて、文字列リテラルは 11HHELLO WORLD
のように先頭に「文字数n + 'H'」を付けて表した。この H
はホレリスに由来するものとされ、このリテラルによる定数はホレリス定数と呼ばれた。
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パンチカード |