2025年12月31日水曜日

「紫袂(むらさきたもと)の柵」


 棟方志功が、妻を思って詠んだ代表歌。

「小矢部川 雪解け居るも 吾妹子(わがもこ)の 

 矢羽 根紫 袂(たもと)香(にお)ふも」

その板画:「紫袂(むらさきたもと)の柵」



2025年12月29日月曜日

ヴェネツィアを支えた専門島「ムラーノ島」

専門島が4島あり、お墓島のサン・ミケーレ島、野菜島のサンテラズモ島、漁師島のブラーノ島、そしてガラス工房のムラーノ島である。
 
 
ムラーノ島は、1000年以上まえからガラス工房専用に開発された。現在は約30軒の工房が存在している。

交易で栄えたヴェネツィアは、ガラスの原材料輸入が可能っだったので、火災の危険性がある工房をこの島に分離して設置し、製造することにした。
ガラス製造技術者が集合されたことで、ガラス製作の新しい技術が沢山うみだされた。
島にガラス職人を隔離したので、その高いガラス製造技術の流出を防止することも出来た。



わが家も、ムラーノ島を訪れたときに、男女ペアのガラス人形を買って帰った。

2100年には、海水位の上昇で島が水没する可能性があると予想されているそうだ。
チェコのボヘミアングラス工房には、ムラーノ島の技術者がかなり移動したという情報もある。

2025年12月28日日曜日

江崎玲於奈100歳の年末提言

昭和100年の年末ということで、多くの著名人が、百年の感想を新聞紙上で意見をのべているが、70~80代の人が多い。
私と同じ年齢の100歳でまだ元気な江崎玲於奈さんの提言が、もっとも共感を覚えるものであった。


江崎玲於奈の提言記事全文

 
科学の進歩について、「万有引力」を提唱したニュートンには、「私が他の誰よりも遠くをみることが出来るを見ることが出来るととすれば、背の高い巨人の肩の上に立って視野を延ばしているからだ」という言葉があります。科学的発見のプロセスは常に先達の積み重ねの上に論理的にきちんと融合した形で、革新的な知識が加わっていくもの。言わば科学には、仕組みそのものに、「進歩」が内在している。芸術や音楽も、革新的変貌を遂げることことはありますが、必ずしも進歩ではないでしょう。



AIが創造力を持ったとき・・・誰にも予測できない。

2025年12月27日土曜日

うがい薬

冬場は 風邪予防に、うがいをするよう注意されます。

現在の薬局には沢山の「うがい薬」が並んでいます。

戦時中は軍隊で、うがいは塩水ですればよいと教育されました。

最近のマスコミでも、うがい薬は必要ない。水でうがいすればよいと言っています。

わたしの掛かりつけ医師も、風邪予防は水でよいという意見です。

ネット検索すると、

「うがい薬とは、口の中の真菌・細菌やウイルスなどを殺菌する含嗽剤(がんそうざい)のこと」と定義されています。


「人の多い場所から帰宅したあとや、のどがイガイガするときなど、風邪を予防したいときなどに使います。


口腔内のリフレッシュにも使えるので、食事後や喫煙後などにもぴったりです。」と記載されています。


うがい薬と似ている「マウスウォッシュ」は、主に口の中を爽快にして口臭などを防ぐために使うもの

殺菌・殺ウイルスに特化するうがい薬とは目的が異なります。


「のどスプレー」も、のどの腫れや荒れがあるときの治療薬であり、予防のためとして日常的に使うものではありません。

うがい薬というものには、

ウイルス対策に効果が期待できるもの

のどの痛み・不快感にアプローチするもの

口腔内の洗浄や口臭の除去に使えるもの


などさまざまです。


目的に合ったうがい薬を選び、毎日の健康維持に役立てましょう。

2025年12月21日日曜日

針摺の瀬戸(古代の海峡)

 筑紫高校の住所を調べたら筑紫野市針摺とになっている。

古代の地図では針摺の瀬戸と呼ばれた場所である。
下図赤丸の付近。
今は大宰府市と筑紫野市の境界線になっている。


2025年12月20日土曜日

三島由紀夫の予言

三島が自衛隊で行った演説の要旨

三島生誕100年で、彼の死についてTVなどで論議が取り上げられている。
私は三島の1年あとの生まれで99歳になるが、戦時中の軍国主義の教育を、三島と同様に本能的思想としてたっぷり受けた。
「日本を守るとは天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」という三島の思想は、私の心理の奥にもしみついている。
三島は文系だったので、徴兵検査で不合格になったとき、劣等感を感じたそうだ。
私は理系だったので、徴兵検査に乙種合格したとき、電波技術者として働きたいと思った。
 

三島は大蔵官僚となったが、文学の分野に転向し、若くして世界各国を見て回り、世界の思想のすべてを学んだようだ。政治・経済・文化・芸術の多角的な視点から文学作品を発表しながら、彼の思想が保守的になっていったのは、若い頃の戦時教育のせいであろう。
私は中堅企業の研究技術者として、右派・左派の中間アーチ的存在に終始し、日本の経済成長に満足していた。
アメリカや欧州の技術開発を学び、新製品の開発、生産技術の向上、品質管理などの普及につとめ、アジア諸国の技術者を迎えての教育活動にも参画した。


三島の未来予測
その頃三島は、上記のような未来予測にもとずいて、「楯の会」の活動をはじめ、自衛隊基地で自決した。
当時の私は、三島の行為を愚かなことと感じていたが、戦後百年の現在になってみると、日本経済は「失われた30年」で、政治・経済が混乱し、米・中のあいだで揺れ動いている。
三島が予言した「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目のない、或る経済大国」は、もはや経済大国ではなくなっている。


日本は生命尊重だけは最優先で、世界一の長寿国、高齢化社会になっている。

世界は冷戦の二極時代から、多極化時代に変わりつつあるが、三島がここまで予測していたかどうかは定かでない。



2025年12月16日火曜日

二人の北九州市市長

 昨日、元北九州市市長末吉興一氏の死亡ニュースが発表された。

九工大時代に私が主催した学会で、北九州市のPR講演を依頼したら、快くひきくれてくれた市長であった。



その前の谷伍平市長は、旧制福岡高校の先輩で、私が安川の研究所長になった時の同窓会では、年齢的に早いなと祝ってくれた。



谷市長は10歳年上、末吉市長は8歳年下、どちらも肺炎で、90歳と91歳での逝去であった。

2025年12月11日木曜日

夢野久作の背景

 杉山茂丸 と 大島ホトリが結婚して、夢野久作が生まれるまでの流れと、夢野久作の想い。

高夢野久作の実母は、大島家の娘で、大島ホトリと申しました。大島ホトリは、黒田藩の馬廻役二百石の大島義賢の長女でありました。
 大島家は、西公園の西南麓にあります、旧福岡師範学校の敷地の大半が本来の場所であり、福岡師範学校が設立された後、その南側の道路の南側の角に当時、邸があったということです。
(もしかしたら、現在 #福岡教育大学付属小学校 中学校 があるあたりなのかもしれません。町名で申しますと、荒戸町五番丁であります。)
彼女は、小学校時代から中々活発な少女であったようで、当時、呉服町に初めて出来た小学校に荒戸町から歩いて通学しました。
当時、呉服町の角に人力車夫の溜り場があり、これを立場(たてば)と申していました。彼女は、そこにいた気の荒い人力車夫の連中から、
「ほうら、大島のお転婆娘がいきよる」
 とヒヤかされた程であったということです。
 小学校は一番で卒業し、福岡師範学校の中に、父、義賢は、彼女を入れるために、女子師範をつくったと申しています。
 彼女は、また、唐人町にあります浄慶寺の大塚品(シナ)という通称、大塚のお品さんから漢字の教授を受けたということです。
 ホトリは、本来、自分の希望は、東京の美術学校にいき、陶器の絵付けの研究をしたいという希望をもっていたということです。
 (夢野久作が後年修猷館時代、父の茂丸に対して、美術で身を立てたいと願ったのも、血脈的に、この生母の能力を、うけていたのかもしれませんし、その影響もあったのでしょう。)
 さて、彼女が杉山茂丸と結婚するようになったのも、従来秘密というか公開されていませんでしたが、大島家の言い伝えによって明確になりました。

 大島家の話によりますと、杉山茂丸の継母友子は、大島家に一週間泊りがけで、ホトリを茂丸の嫁にと、強談判をしたということです。
 大島家と杉山家は、黒田藩の同じ馬廻り役であったことと、また親類でもあったので、大島ホトリの人柄を見込んで、茂丸のような飛び廻る男の嫁に、ということになったのでしょう。
 大島家には、父 義賢と母 ひなと、ホトリ、マドカ、驍(タケキ)、スミカの三女一男の外、義賢の妹が黒田公の奥女中を長年勤めて帰って来ていました。
 この妹婆さんと友子の泊りがけの強談判で、父の義賢も奥女中の叔母さんも折れて、大島ホトは、本来の美術学校への入校をあきらめて、杉山家に嫁ぎ茂丸と夫婦になったといわれます。
 
 さて、このようにして結ばれた二人が、どうして、二人の間に生れた夢野久作が僅か一歳にならぬ前に別れねばならなかったのかということは、茂丸は勿論、夢野久作も、私達杉山家のものに、何も言い遺していませんので、大島家に伝えられているものしかありません。
 杉山家は、本来三郎平が修猷館の朱子学、国学の助教授をしていましたので、勿論漢学の素養がありますし、茂丸もその子ですから、明治維新後、三郎平が山家で敬止義塾という家塾を創立したとき助教として教えたということであり、十六才で学校の先生として勤務したということですから、漢学にも通じていたと思われます。

 茂丸は、明治に入り、小学校制度ができた時に、近隣に創られた筑紫小学校(現在の筑紫野市立 #筑紫小学校)で教えたと、前筑紫野市教育長の高嶋先生から教えていただきました。
 また、杉山茂丸著 百魔 によれば、弟 五百枝は、 #本道寺 村で無給教員として住み込み、卒業免状を受け取る資格があるかを確認する試験で、30名中22名を合格させたと紹介されています。】
 ここに、ホトリが嫁として入って来ましたので、この三人は漢学の話が合いますが、当時の女子は、学校は勿論、学問は無用といわれた時代でしたので、姑になる友子のみ、話題から外れた存在になったと思われます。
 
 このことがホトリの離婚の原因になったのでしょう。
 
 ホトリの茂丸との結婚生活は仲睦まじかったようです。住吉下宮崎町の杉山邸の前を流れる那珂川の流れでの川洗濯など楽しい思い出が、後にホトリが杉山家を離縁され、高橋家に嫁いで生れた人々に話として遺されていました。
 
 或る日、夢野久作が生れて間もなくのことですが、ホトリは、姑の友子から、実家の父、大島義賢に宛てた一通の手紙を預かりました。そして、友子から、父にその手紙を渡して来るように命ぜられたので、何んの気もなしに西公園下の大島家に帰りました。

 父が、その手紙を開いて見ると、離縁状であったそうです。それを読んだ義賢は大変怒り、ホトリに、「一週間も泊りがけで、嫁にくれといったのに、一通の離縁状をもたせて帰すとは、言語道断だ、今後、杉山家に帰ることはならぬ」と言い、ホトリは、その後、杉山家に帰れぬようになったということでした。
以上 西の幻想作家 夢野久作

 夢野久作は、小さいころ、病弱だったと聞いています。
茂丸は、ホトリさんと離婚させられた後、再婚していて、夢野久作が物心ついたときに母と思った女性は後妻さんだったのです。

 ですから、夢野久作は、義母がいなかったら、私の命はなかったと、思っていたようです。
母と思った女性が、後妻さんだったとわかった時の夢野久作の気持ちに思いを馳せ、その寂しさを想うと、かわいそうで仕方ありません。
その後、杉山家に自分さえいなかったら、父と後妻さんで、いい家庭ができるのに・・・
と思いながら、少年時代から青年時代を過ごしたと、思っています。
その寂しさが、小説の原点の一つ
そして、三歳から、祖父、杉山三郎平から叩き込まれた儒学 特に陽明学的な解釈が
もう一つの小説や童話の原点だと思います
先日、毎日新聞の記者の方とお話させていただいたときに、夢野久作の小説のお話になり、
おどろおどろしいというイメージになっていますが、私のイメージは違いますと申し上げました。
夢野久作の作品は、最初、いじめられたり、ひどい扱いを受けた弱い立場の人々が、最後に、上から目線だった人をやっつける話です。
と申し上げると、賛同していただけたようでした。

2025年12月9日火曜日

林田春次郎

 林田春次郎は、明治8年11月11日、現在の田川市伊加利で生まれた。 地元の伊田尋常小学校(現鎮西小学校)を経て豊津中学校に入学したが、16歳の病気で退学し、自宅で療養生活をした。

病気平癒の後、農業に従事していたが、明治34年、26歳で伊田村々会議員に当選した。明治42年、34歳で伊田村長当選、明治45年田川郡会議員当選、大正3年伊田町制施行町長就任以後累任、大正5年県会議員当選、昭和3年県会議長 (昭和10年満期退任)、昭和18年田川市初代市長 (昭和21年、公職追放直前に辞職)。

村長・町長・市長として、長い間、地域の発展一筋に尽くした稀有の地方政治家である。







この伊田村長就任の時は、三井伊田坑の竪坑櫓が完成し、本格的に出炭が始まった段階である。その時に、既に炭鉱閉山を予測して、閉山を前提にした地域造りを考えているのである。

また、春次郎が常に先頭に立った三井との数々の折衝や具体的な施策(例えば、今日の東鷹高校の前身田川実業女学校の設立)などを追ってみると、一寒村から炭鉱開発に伴なう伊田町の発展の諸問題を克服しつつ、時に必要なら巨万の私費を惜しみなくつぎ込みながら乗り切っている。

田川の炭田地区の開発だけではなく、博多湾の香椎潟の埋め立て計画にも参加している。


伊藤伝衛門のような派手な逸話はなく、着実な実業家であった。

2025年12月7日日曜日

デジタル赤字

 デジタル赤字とは、海外のデジタル関連サービスへの支払い額が、受け取り額を上回る状態を示す。

2025年度では、6兆円だが、2035年度では45兆円と予想するレポートが出されている。

1)ネット広告取引やクラウド利用料など:18兆円

2)AIなど:              10兆円

3自動車ソフトなど:          17兆円




日本は戦後、製造業を中心に「ものづくり大国」として発展してきた。その結果が、デジタル化のおくれを招いた。

NTTどこものiモードなど国際レベルの技術開発もあったが、当時の経営トップが、自前主義で世界展開が進まなかった。

スイスの経営開発研究所がまとめた「世界デジタル競争力ランキング」では、日本は69ケ国中、30位、「デジタル技術スキル」は65位と、きわめて低い水準である。

デジタル分野はすぐれた能力を持った若者が、いきなり高い給料をもらう世界である。日本の年功序列、集団主義とはあわない。日本のソフト技術者は、ゲーム業界で働き、すぐれたソフトを開発してきた程度だ。

5年後、10年後に向けて、どのように産業界を改革し、日本の強みを発揮できるようにするかを議論する時期に来ていると思う。

ただし、99歳の私は全くデジタル技術分野のことは素人である。はじめてアメリカのシリコンバレーに行ったときは、マイクロソフトのビルゲイツが高校生で、ヒューレット・パッカードの会社にトランジスターをもらいに来たそうだ。社長はその熱意にほれて、夏休みに会社でのアルバイトに誘ったという話をきいた。

GAFAMなどの企業のない時代の人間だから、現在の若手技術者の活躍に期待するしかない。

直接対話できる若者は周辺にいないが、孫の二人がソフト企業にいるので、発破を掛けるくらいが、せめての現実行為である。

2025年11月5日水曜日

香椎浜線の歴史

 香椎浜線道路の幅はなぜこんなに広いのか?疑問をもつ人も多いでしょう。

左右に自動車道路があり、中央に芝生を植えた並木道路があります。




この地区は、埋め立て前は香椎潟の海中でした。そして衣川が流れこんでいました。



埋め立て計画では初期の場所で、東邦電力が石炭の燃えた滓を利用した埋め立てを実行した範囲で、香椎浜線の南までうめたて、そこに道路をつけました。その道路のよこには、衣川の水が流れていました。



さらに埋め立て範囲を広げる計画の時、衣川の水路を暗渠にして、上に芝生を植えた並木道にしました。



だたし、3号線より上流部分は水量も少ないので、道路のしたの水路となりました。



3号線のバイパスができるとき、衣川はさらに道路の下に埋められ、地上では多々良中西交差点の近くの、一心寺の裏庭の地点からみることができます。




多々良中西交差点の暗渠カバー


2025年10月29日水曜日

水害防止設備

 新宮町では、豪雨のためアクア新宮の浄化施設が水没し、応急的な復旧事業に4億3700万円かかり、長期にわたる完全機能回復までには、概算総額は約45億円の巨額の見通しという。


新宮町は山地から海まで、細長い地形であり、江戸期築造の3本の天井川が、沖田地区の牟田川に集まる。町の主流湊川にくらべると、市販の街図には名前も記入されていない程度の川である。


高い位置の天井川から想定外の短時間大量降雨で低い位置の浄化処理施設に一気に流れ込んだのであろう。水だけでなく、流木や浮遊物なども流入するので、その防御装置がなかったのだろうか?


私は千早地区の衣川の地下道化工事を調べてみていた。衣川も名前を忘れられた側溝に近い小さな川である。





当初は地下への流入口には、何も防御装置がなかったが、国道3号線バイパスが出来るときには、下図のような流木や浮遊物を防止する頑丈な金属防止網が設置されている。


河幅は同じ程度だから、この装置を設置しておけば、被害は少なくてすんだのではないかと思うのだが、素人の推測にすぎないだろうか。

2025年10月28日火曜日

箱崎の家

 箱崎で私が育った家(妹の葬式の時の写真)



最近まで、3号線の店舗として存在していました。


現在は、隣にあったGCR(グローバル クリエイタ-アカデミー)の教育施設の新館に変わりました。




2025年10月23日木曜日

 「歴代総理大臣の出身地」 

一位「山口県(八名)」
二位「東京都(五名)」
三位、四位、五位
「広島、群馬、岩手(四名)」 
六位、七位、八位、九位
「鹿児島、岡山、京都、石川(三名)」
・・・・・
何と奈良県は初めてで、それも女性は憲政史上初めて.