2025年9月27日土曜日

壇ふみの母、壇ヨソ子

 母、檀 ヨソ子さんの人生

「だんよそこ」。大正11年、福岡県瀬高町に生まれる。
旧姓山田。生家は造り酒屋だった。柳川高等女学校卒業後、職業軍人と見合い結婚するが、出征した夫は戦死。ヨソ子は実家に戻り、終戦を迎える。
先妻を結核で亡くし、柳川市で遺児と二人暮らしだった作家の檀一雄と、昭和21年に見合い結婚。まもなく。一家で上京する。
その後、二男二女を出産。次男が5歳のとき日本脳炎から重度の心身障害に罹り寝たきりとなり、10年間看病に明け暮れるが、次男は15歳で他界する。
家事、五人の育児を一人できりもりしながら、夫の執筆の口述筆記をするなど作家の妻としても献身的に立ち働く。






晩年、一雄が体調を崩してからは、夫婦だけで福岡県能古島(のこのしま)に移り住む。
昭和51年、肺ガンに倒れた夫を見送る。
東京・石神井の自宅で、ふみ、さとら娘二人と暮らした。2015年4月24日に92歳で逝去。

「私は九州工大に勤務していた頃、ヨソ子さんの妹さんで、瀬高町の豪農に嫁がれた方の娘さん(壇ふみさんの従妹)を、九州工大の卒業生で、TOTOのエンジニア―に紹介し、仲人を務めた縁がある。ふみさんによく似た美人であった。
壇一雄は、旧制福岡高校の先輩であり、彼が最初の結婚をしてまもない頃の『リツ子・その愛』『リツ子・その死』などは、ラジオ小説で聞いていたので、能古島に移り住んだ頃は、ニュースに興味をもっていた。
肺癌で九大病院に入院した時は、私の義父の入院部屋の隣が彼の病室であった。」

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