(1) 市内各地で藤の花が咲き始めていますが、この藤の花が「花見」の地名由来とする説があるようです。
「古賀郷土史研究会通信 第一号」(平成30年3月3日発行 飯島勇一郎記)
『花見』の地名は花見山に由来しています。
花見山は山ではなく砂丘が高くなった丘のような山だったと考えられています。
地名由来として、大友宗麟が此の地にやってきた時、松林の中に一面の枝々に咲いた藤の花が白、紫の織り交ぜた山を見て、これは花見山だと言ったので『花見』の地名が付いたと言われています。
花見山は昭和40年頃まで存在していたと思われますが、現在、花見山は造成されて、花見小学校、ナフコ、トライアルなどのスーパーや周辺の住宅地になっています。
花見山の場所はマルキョウ・ナフコ(旧三機工業跡)の前の高台にある団地周辺だと考えられています。(「筑前国続風土記」・「大歳神社の由来」)」
(2)
一方、「鼻見」が「花見」になったという説もあります。
古賀市立図書館収蔵の「歴史講座 郷土の地名の由来」(平成11年6月25日 古賀市文化財調査委員 長崎初男)には、「大友宗麟が藤の花見をしたからと言います。しかし『ハナミ』はもっと古い言葉だと思います。
花見の砂山にあった古墳からは、琴柱型の耳飾りと思われるものや、おもりがでています。その前の弥生時代の住居跡も出ています。
花見山は丁度、新宮と津屋崎の中間にあり花鶴浦が弧を描いた中心で、新宮と津屋崎の両方のハナ(岬)が見えます。磯崎鼻と渡りの鼻です。その鼻見であったのが花見になったと思います。」とあります。
古賀市 水辺公園の藤の花
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