2025年12月9日火曜日

林田春次郎

 林田春次郎は、明治8年11月11日、現在の田川市伊加利で生まれた。 地元の伊田尋常小学校(現鎮西小学校)を経て豊津中学校に入学したが、16歳の病気で退学し、自宅で療養生活をした。

病気平癒の後、農業に従事していたが、明治34年、26歳で伊田村々会議員に当選した。明治42年、34歳で伊田村長当選、明治45年田川郡会議員当選、大正3年伊田町制施行町長就任以後累任、大正5年県会議員当選、昭和3年県会議長 (昭和10年満期退任)、昭和18年田川市初代市長 (昭和21年、公職追放直前に辞職)。

村長・町長・市長として、長い間、地域の発展一筋に尽くした稀有の地方政治家である。







この伊田村長就任の時は、三井伊田坑の竪坑櫓が完成し、本格的に出炭が始まった段階である。その時に、既に炭鉱閉山を予測して、閉山を前提にした地域造りを考えているのである。

また、春次郎が常に先頭に立った三井との数々の折衝や具体的な施策(例えば、今日の東鷹高校の前身田川実業女学校の設立)などを追ってみると、一寒村から炭鉱開発に伴なう伊田町の発展の諸問題を克服しつつ、時に必要なら巨万の私費を惜しみなくつぎ込みながら乗り切っている。

田川の炭田地区の開発だけではなく、博多湾の香椎潟の埋め立て計画にも参加している。


伊藤伝衛門のような派手な逸話はなく、着実な実業家であった。

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