旦の字は日の出をあらわし、タンと読むのが普通である。
しかし旦那はダンナだから濁音もある。旦と団は意味が違うが、音は同じだ。
この地の出身豪族に団氏がいて、かってこの地の満本城の城主であった。
薦野氏との戦いに敗れて、その後は薦野氏にしたがって立花や黒田の家臣となった。
11代目の団尚静は幕末のころ黒田の勘定奉行までなったが、維新のころは江戸勤務であったため、黒田偽札事件には関係せずにすみ、同僚が多く罪にとわれるなかで、福岡藩から福岡県の官僚として生き残った。
筑前竹槍一揆が起こると、その事件処理に功績をあげて、県権大参事になった。
この一揆でたまたま犠牲となった3人の官吏の慰霊碑が、その場所の松崎にあり、碑の建立につくした人物名に団や藤野の名前がある。
その子の団琢磨は藩の海外派遣員としてアメリカに渡り、鉱山学などを学び帰国した。東大の教壇にたったのち工務省の役人となり大牟田の三池鉱山の開発を担当した。鉱山の民営化で三井物産が入札したとき三井物産に天下りし、最後は三井財閥のトップとなるが、テロにあい生涯を閉じる。
団琢磨 |
伊久磨は団氏のルーツ探しに、古賀まで足を運んで来られたことが2回あるそうだ。その時に話しでは、ダンという地名を探して、タイやベトナムまで行かれ、団家のルーツは東アジアらしいと話されていたそうだ。古賀にはどんな感想をもって帰られただろうか。
当時渓雲寺でとられた写真が残っている。
今は九州高速道路の古賀パーキンエリアが出来て、九州北部では人気のある場所になっている。
また小説家の檀一雄のダンとの関係も気になるところだ。
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