善光寺の一光三尊 |
一般の一光三尊 |
善光寺式と一般の一光三尊像の比較 :
一光寺の本堂で確認したら、現在の三尊は上記の一般のものだが、光背は一つでなく、三尊に個別についている。
一光寺は、創設時の名島地区からの移転や、箱崎千軒地区の大火による消失などで、本尊も作り変えられたようで、当初のものや名称とは無関係になったらしい。
一光寺の460年史にも記載されている歴史で有名な事件:
黒田11代藩主の黒田長溥は蘭学に熱心で、蘭学者永井青崖をかかえていた。
若き日の勝海舟は、その永井に蘭学を学んだ。辞書を借りて2冊の写本をつくり、1冊を売って学費とした話は有名だ。
藩主はこの経緯をしっていたので、長崎海軍練習所時代の勝海舟に、博多湾に寄港するように要請した。
1866年に勝の咸臨丸が博多湾に寄港したとき、黒田藩は乗船員を、秀吉も利用したことのある「箱崎御茶屋」で歓待した。
咸臨丸 |
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