2014年5月5日月曜日

万見仙千代

昨日の大河ドラマ黒田官兵衛に登場した「万見仙千代」とは、どのような人物なのか? 
生年は不明だが、信長の小姓として信長から“英才教育”を受け、次代を担う若手の筆頭でした。しかし初めてと思われる出陣であっけない最期を遂げることになる。その最期を遂げる戦いが、天正6(1578)年荒木村重の有岡城攻めだ。 
仙千代の活躍が最初に記されるのが『松江松平文書』の1575(天正3)年9月10日付の秀吉らへ宛てた信長書状のようだ。 
そして神吉城攻めの検視役を勤め、陣の構築を指示したり信長への報告をした。
その他、南部政直の接待役、武蔵・太田道誉宛ての信長の書状(副状)発給、安土で開かれた相撲会の奉行の務めなど、内政から外交に関することまでこなし、信長の身の回りの世話もしなくてはいけない忙しさ。 
万見仙千代の死により、信長の小姓として最も有名な森乱丸(蘭丸)が登場することになるが、もし仙千代が長生きしていたら蘭丸の出番は無かったかもしれない?

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