織田信長は天下布武、天下静謐(せいひつ)のスローガンで、天下とりを目指したといわれている。
毛利元就は天下のことにはかかわるなと、子孫に告げていたという。
戦国時代は、足利幕府の政治権力失墜ではじまった。
長年の応仁の乱で、中国の大内一族は故郷の勢力を近畿にさかれて、次第に自滅していった経過を見ていた元就は、複雑怪奇な畿内の動きに拘わりたくないと考えたのであろう。
信長も最初は足利義昭をかついで上洛したが、数年後には義昭と対立し、周辺の国情も変化したので、ついに自力での天下とりをめざした。
昨夜のテレビでは、信長の選択の変化を細かく調べ上げて、解説していた。
信長は、鎌倉幕府や足利幕府を超越した政治組織をめざして、失敗してしまった。
家康はそこを心得ていて、江戸幕府体制を確立し、260年の政権の基礎を固めた。
天下の範囲が、国内から海外に広がった時代には、徳川の幕府体制も通用しなくなった。
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