2017年7月22日土曜日

藤の字のつく名前

NHKで「日本人のおなまえ」シリーズをやっている。
藤の字のつくなまえの放送日は、朝倉・日田地区の大水害のニュースで延期されたが、その後ネットで調べたり、再放送をみたりすると、下記のような内容だった。

藤原鎌足は天皇中心の社会を確立した功労者で、大化の改新の中心人物である。藤原鎌足は亡くなった時に天皇から「藤原」という名前を賜った。
番組では藤のつく名前のルーツは、鎌足たったひとりからスタートしたというが、これは極論だ。
当時藤原京も作られたし、藤の花の紫色は、古来から高貴な人の色とされ、源氏物語や栄華物語では、人物の名前や衣装の色にとりあげられている。さらに藤は「不死」と書いて長寿を願う祝いの意味もあった。また若芽は食用に、実は漢方薬に、蔦は強力なロープとして橋に使われた。

鎌足が亡くなり350年後の公卿補任を見ると、28名のうち23名が藤原だった。
鎌足の息子、藤原不比等は、自分の娘を天皇に嫁がせ、その娘が生んだ息子に、自分の別の奥さんとの間に生まれた娘と結婚させた。こうして平安の中期には藤原のブランド力は最高潮に達した。
さらに百人一首は藤原定家が百人の歌を選んだものが、100首のうち34首が藤原一族がよんだもの。百人一首の研究科の吉海直人さんは「藤原氏がたくさん入っている事を気がついた人は今までいないような気がする」などと話した。

こうして藤原という名前が平安京に増えすぎた。あまり身分の高くなれなかった藤原でも身分を高くする方法が地方に行くことだった。
自分たちのルーツはこの国というようなことを自分の名字にし始めた。
加藤のルーツは加賀(地名)と藤原を合わせ加藤になったという。
伊勢に行った藤原は、伊藤になった。近江に行った藤原は、近藤になった。などなど。
内藤の内は「内舎人」。舎人は偉い人に使える召使、内がつくのは天皇の身近に仕える秘書だという。内藤は職業プラス藤原だった。
藤(ふじ)ではなくトウと呼んだ理由は、氏、姓を中国風に1字で音読みするのが流行した。

さらに都にいる藤原も名前を変えることになった。
「九条」「近衛」「二条」などの名前に変えた。九条や二条は平安京の中の地名。近衛は現在の東京でいうと麹町や永田町。都の大事な地名を名前にすることで藤原サマの関係だと分かるようにした。
時代が下がると、藤井や藤田など、藤原と関係の薄い名字も次第に増加していったという。
私のもっている姓名総覧では、藤の字の姓名で、人口の多い順位は、藤井、藤原、藤田、藤本、藤野の順になっている。
その他:藤江、藤枝、藤尾、藤岡、藤川、藤木、藤倉、藤崎、藤沢、藤島、藤代、藤城、藤谷、藤波、藤沼、藤林、藤平、藤間、藤巻、藤村、藤森、藤山などが挙げられている。
わたしの知人には、藤永、藤吉などもいた。
また私と同姓同名の人もいるが、有名人に藤本義一がいて、ときおり間違えの手紙がきた。

最近の漫画ブームで、藤の家紋が有名になった。

藤が地名になった例として小学校をしらべてみた。
藤原小学校は、岩手宮古・福島いわき・群馬みなかみ・三重いなべ・大分日出と、5校ある。
藤野小学校は、相模原・岡山和気・札幌市の3校ある。
藤原氏は多くの有名人を輩出したが、藤野氏は無に近い。 その差はあまりに大きい。

天然の藤の大木が沢山あるのは、奈良の春日大社で、日本人が古代から藤の花を愛したことは確実なことのようだ。

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