2019年1月13日日曜日

コンピューター・パソコン・ネットの私史(改訂版)


(1)昭和の計算機・パソコン私史

  
(安川電機時代)
安川電機 旧本社ビル


新本社ビル


 安川電機では事務用IBM計算機を、昭和29年より採用。給与計算や財務計算専用に使用。
技術研究では、計算尺、手回し計算機の時代であったが、私は昭和33年頃、研究テーマの科学数値計算にIBMを特別利用させてもらい成果をあげた。国立大学ではまだ手回し計算の時代で、高く評価されて学位論文となった。
その後IBM社の伊豆天城研修センターで、エグゼクティブ・プログラム教育を受けた。

北部九州では、九電、西鉄、RKB, 八幡製鉄、安川、黒崎窯業など大手の企業が、IBMの利用状況の情報交換を行う会合があり、後に大学系のOR学会と合併し、その支部長をつとめた。


安川電機の製品としては、産業用オートメーションに使う計算制御装置として、パラメトロン式:MEMOCON、 磁気ドラムメモリー式: CAB500 (フランスSEA社技術導入)、磁気増幅器式:ロジットを経て、 トランジスタ時代になり、さらにIC,LSI時代になり、工作機、溶接機、ロボット技術にコンピュータは広く使われるようになった。


1968にアメリカ・欧州の先端技術調査とサーボ技術の技術提携などにでかけ、アメリカではスタンフォード大学、シリコンバレー、HP社を訪問:(当時スティーブ・ジョブズがまだ高校生でアルバイト中であったことを後で知った。)

(九工大・九産大時代)
上:九工大;下:九産大



昭和55年頃より、デスクトップパソコンとなる。 1978~(九工大時代)は、NECの PC80 PC88 PC98シリーズ、 YED(安川系)製品 (Basic言語)を使用した。

1988~(九産大時代)は PC98 IBM EPSON(Basic)Macなどを使用した。

ノートパソコンは、1988~  
Mac(PowerBook) ; Windows(3,95、98、・ME,XP・・・)などを使用した。
自宅では、初期はPC98やMac,現在はWindows XP; Windows10を使用している。

(2)平成インターネット私史



インターネットの国内開発は
1980(S55)~ 慶応大(村井)300m;
東京工大(中村)10Km;東大(石田)3点間の大学間のLANからはじまる。

N-1 net 大学間ネット提案に郵政省の反対(郵便局法違反) JUNET提案1983; 事業法改正を経て 
KDDI(小西)が(海外)とはじめ、1984~IN倶楽部(NPO)による運営がはじまる。

九州版NPO:KARRN 1988(S63)~ 
大学と民間企業による共同利用計画は、サーバー設置場所を九大事務局が当初拒否し、私のいる九産大に置くように尽力した。その後九大が認めたため最終的には、九大が管理することになった。



個人では自宅電話によるパソコン通信1987(S62)開始: サーバーは朝日新聞 毎日新聞(ダイヤルアップ方式)
 電話代過大で1年間くらいで中止。

九産大1988~:学内LAN 
電気学科・・工学部・・次第に全学部に拡大 :E-Mail主体(初期はローマ字のみ)
学外は1990~より、アメリカ:カーネギメロン大学に留学中の甥と頻繁にメール。


 学内パソコン研究会がはじまり、その後情報処理センター(現在の総合情報基礎センター)長となり、各種のパソコンやネット行事に参加。

平成4年 天神県庁跡広場:

  九州産学官共同研究ネットワークのPR展示会

平成6年 九産大情報処理センター新計算機システム導入

     記念講演会:マイクロソフト社長らの講演



   

自宅のプロバイダー;1995(H5)~
Bekkoame ,Yahoo,OCN,Excite,Google: ISDN, ADSL, 光ケーブル、(電話共用);
最近 AUからbbiqに変更。



企業ホームページ関係:
日本初のHPはNTT 、NHKは平成7年

HPの研究: バナービジネス、検索エンジンなど

福岡のHP作成会社:pencil IIJ CSJ NIT degipula Oasisなどは日本のYahooより古い


個人のホームぺージ: 
 htmlによるHP作成を学ぶが、作成は続かず。
 作成に便利なプロバイダーの形式により作成を続ける。
私の日記 geocities
ふるさとなび exblog
大正男の歩録   yahoo
風来疎竹   ocn
西方浄土筑紫嶋 故老見聞録 終活方丈記 blogger
(毎日どれかに書き込む。当初は文字情報のみ、次第に画像添付が可能になり、配置、加工も進んでいった。)
西暦2000年を迎える頃、郷土史研究グループで、「古賀の歴史2000年の歴史」をまとめ、パソコンとプロゼクターによる発表会をおこなった。古賀の郷土史研究会でははじめての試みであった。



(退職後)

九産大のCG公開講座への参加: 
約10年間:年間30日 Illustrator PhotoShop Word2010などを習得。

グループで、毎年作品展示会を春と秋に県立美術館で開催。
作品:小戸の浜




個人では、自分史「傘寿の歩録」や「古賀の歴史と文化」を作成し、各100部オンデマンド印刷して配布 。






SNSへの参加:
 よかくさ古賀(古賀市のグループ20人位)
 シニアネット福岡(福岡市のグループ200人位) 
 東サロン(福岡東区のグループ20人位)
 ここで動画の編集や音楽編集などを教わったが、根気のいる作業は身につかず、絵文字、にこにこ動画、ユーチューバ―などは無縁のまま終わった。

MIXIは3年位、 TWITTERは1年位で卒業し、FACEBOOKだけを現在も継続中。郷土史会、教え子、甥、姪、ネット知人が主な友人で、100人程度にしている。

平成11年に、i-phonが登場して、モバイル時代に入ったが、高齢化してあまり出歩かなったわが身には、無用の長物である。いまだにガラ系の携帯で、孫から笑われている。
ネインターネットの陰の分野には近づかないようにし、買い物なども最小限にしている。
パソコン本体やメモリー装置などの進歩・変化も早いので、追いつけない状態である。
パンチカード・フロッピー・ICメモリー


 
オフの会への参加:
古賀ふるさと見分けの会、よかくさ古賀の会、東サロン、
映画鑑賞会など参加していたが、現在は映画鑑賞会だけ、月1回になった。
開催者古賀氏が105歳で、今年93歳となる私は、継続期間がなるべく長く続くことを祈っていた。

コロナ流行の時代となり、集会ができなくなり、107歳で古賀氏が亡くなられた。私も95歳で自動車免許を返上し、老人ホームに入居して、ポケットWi-FiでFBを主に、ネット交流をつづけ、スマホを使った情報交換もはじめた。
その後老人ホームの食事が合わないため、市役所近くのマンションに入居した。
パソコンもW-11に更新し、地区の老人会や健康サロンなどに参加し、市の公民館での会合や、昔のネット仲間の、オンライン会合などに、ときどき顔を出している。
スマホで予約できるローカルタクシー「のるーと」も、数回利用した。


確定申告のネット利用も今年試みてみたが、複雑だったので、来年再挑戦してみるつもりだ。
ホームページは、西方浄土筑紫嶋だけにしぼり、累計2000件位になった。項目検索が出来るので、最新情報を追記したりしている。
マイナンバーカードと健康保険証の連携も行い、秋からの利用に備えた。

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