「作戦の神様」と呼ばれた男は、勝利の名声を背負う一方で、戦場に深い傷を残した参謀でもあった。
だが、戦局が悪化すると、その作戦思想は別の顔を見せていく。ガダルカナル島では現地の補給能力を超えた攻撃が繰り返され、多くの兵士が戦闘や飢餓で倒れた。辻は前線で強硬な作戦を押し進めた人物の一人として、後世まで厳しい批判を受けることになる。
シンガポール華僑粛清や捕虜処刑をめぐっても、辻の関与を指摘する証言や研究がある。一方で、どこまで本人が命令や実行に関与したかについては史料上の議論も続いている。ビルマなどの戦地で語られた残虐行為についても、後年さまざまな証言が現れ、華々しい「名参謀」の評価とは正反対の影が付きまとった。
ビルマで、通信隊の隊長として活躍していたk氏の体験談によると、撤退の前日、明日迎えにくると言い残して本人だけ車両で逃亡してしまったそうだ。
敗戦後、辻は戦犯追及を恐れて地下に潜った。僧侶に姿を変え、中国や東南アジアを転々とした逃亡生活は、後に『潜行三千里』として出版され、大きな話題を呼んだ。かつて戦場で作戦を命じた男が、今度は自分自身が追われる側になったのである。
やがて公の場へ戻ると、辻は知名度を武器に国政選挙へ出馬し、衆議院、参議院で議席を得た。戦争責任を問う声が消えない中でも、多くの支持を集める政治家へ転身した。この落差こそ、辻政信という人物を理解しにくくしている。
1961年、辻は東南アジアへ向かい、ラオスで消息を絶った。戦場を生き延び、追跡をかわし、政治の世界にまで戻った男の最後だけは、行き先も死の状況も確定しないまま歴史の中へ消えていった。

0 件のコメント:
コメントを投稿