蘇我馬子が仏教導入に熱心だったことは良く知られている。
一塔のまわりに三つの金堂をもつ飛鳥寺(法興寺)をつくり、長男の蘇我善徳を寺の管理者とし、さらに善信尼を百済に派遣して正規の資格をとらせた。
これらは、飛鳥寺を仏教の総本山として、組織、人事などの主導権を確立するためだったようだ。
戦後の発掘調査で、本堂の中央から大きな基礎石が発見された。
また同時にたくさんの貴重品も周辺から出土している。
蘇我氏の一族の石川麻呂は、別途に山田寺を建立していた。
その後一族間のあらそいで、蘇我日向に謀反と密告されたとき、この寺で自刃したのは有名だ。
此処も戦後の発掘調査で、回廊の倒壊あとなどが見つかった。
いまその部分が復元されて、資料館で展示されている。
古文書のとおりのものが見つかったので、考古学では大きな話題となった。
仏教導入は天皇家の主導で行われたという戦前の歴史書は、戦後に田村円澄先生(宗像市在住・九大名誉教授)たちの研究により豪族主導と修正された。
いずれにしても奈良盆地主導であったことは変わらない。しかし蘇我日向はその後大宰府に配流されている。
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