西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2015年2月3日火曜日
吉田松陰の実像
大河ドラマの影響で、今まであまりしられていなかった吉田松陰や、その周辺の人物像が、あちこちで語られている。
今日の読売新聞で、歴史家の磯田道史さんが、松蔭の肖像と幽囚録に書かれたかれの持論を紹介している。
肖像画は有名な細目のものより目が太く、五代目円楽師匠に似ているという木像があるそうだ。
幽囚録の内容は添付資料のとおりである。
わたしの中学時代の日本国地図が、松蔭の目指した理想だったことになる。
平成の日本人からみれば、軍国主義吉田松陰の一面も見えるが、その前に異人たちの植民地になるのを防ぐという危機感が最大の焦点であった。
松蔭の企画書内容と戦時中の日本領土
松蔭の木象と円楽の顔写真
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