2021年2月25日木曜日

ベルリンの壁(改訂版)

 NHKの新・画像の世紀で、1960年代におきた若者主導による反抗事件が特集された。

当時(1968)私はパリーでの学生事件に遭遇し、パリーへの入国がおくれた経験があり、その後ベルリンの壁の東側のなかも覗いた体験もあり、さらにソ連支配下のハンガリーにも出かけたり、天安門事件直後の中国にも訪問したので、テレビを1時間見とれてしまった。

ベルリンの壁は1961年に作られ、1989年に破壊されるまで28年間の東西の壁だった。
壁が作られて7年目の1968年にその壁をくぐったころは、西側とくらべると灰色の町で、人影も少ない廃墟に近い印象だった。

Brandenburger Tor だけが記憶に残っている。

当時の私の写真を添付する。




ベルリンの壁の一部分の写真

当時のベルリンの地図には、その場所に黒い太い線で壁が記載されている。(添付地図の右上部)
西ベルリンの空港は滑走路が短いので、高い壁の近くでエンジンを全速まで吹かせてから滑走をはじめていた。


壁は境界線より1M後ろにつくられていたそうで、壁に絵をかくのは、境界にはいりこんだことになり、射殺される可能性があったという。
ベルリンの壁が崩壊して30年になり、いまでは観光の場所になっている。テレビでも30周年の記念番組がよく放送される。

壁が崩されたのは、ソ連の書記長がゴルバチョフとなり、東独市民が多数オーストリアに脱走し、東独の民主化運動に発展したためである。
この頃、中国でも天安門事件が発生した。米・ソ首脳はマルタ会談で、新時代の到来を宣言した。
しかしそれは長くは続かなかった。

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